【ロシア・アヴァンギャルド第五弾】エリ・リシツキー

ロシア・アヴァンギャルドのアーティストには、本来の自分の専門を超え、多様なジャンルで活躍した者が数多くいる。とりわけエル・リシツキーは何を手掛けても一目で彼のものだとわかるようなインパクトのある作品を残した。

リシツキーは、1890年に生まれ、スモレンスクとヴィテプスクで成長した。彼は19歳になると、ユダヤ人差別が存在する帝政ロシアの教育機関を避け、ドイツのダルムシュタットの高等技術学校で建築を学ぶ。建築家として教育を受けた経験が、のちに革新的な二次元平面の表現を生み出すのである。ダルムシュタッドから戻ったリシツキーが興味を示したのは、自らの出自であるユダヤの文化であった。彼は1917年、復活祭をテーマにした『子山羊』に描かれた挿絵は、素朴で暖かくシャガールを彷彿とさせる。ここには自分を育んだユダヤ文化へのオマージュがあふれている。

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革命後の1919年、リシツキーはシャガールの招きでヴィテブスクで教鞭をとる。当時のヴィテブスクにはカリスマ的存在の画家マレーヴィチが君臨し、学生ら彼の取り巻きたちはウノヴィス(新しいものの肯定)と名乗る、芸術グループとも党ともつかない団体を組織していた。理論と実践の両面からラディカルに無対象絵画を推し進めるマレーヴィチから、リシツキーもまた多大な影響を受ける。当時制作されたプロパガンダポスター《赤い楔で白を穿て》には、浮遊する幾何学的形態が登場し、リシツキーがスプレマチズムの洗礼を受けたことが読み取れる。しかしこのポスターは神秘的なマレーヴィチの絵画とは異なって、明確なメッセージを持っている。白はブルジョワを表し、赤はそれを打倒する社会主義を示す。リシツキーは、スプレマチズムの色彩と形態を、意味を担った記号へと転用することにより、無対象絵画を政治的プロパガンダに応用したのである。

色彩と形態の点ではスプレマチズムに類似しているものの、リシツキーの絵画には彼独自の平面に対する問題意識が打ち出されている。1920年リシツキーは「プロウン」シリーズを開始する。「プロウン」は、上下逆に、あるいは90度、270度と回転させることができる。ここでは、あらかじめ上下が決定しており、壁にかけられて鑑賞される絵画の慣習が疑問に付されているのである。リシツキーは次のように述べている。

プロウンの表面は絵画であることをやめ、その周りを迂回して全ての側面から鑑賞し、上から下をのぞき込み、下から探らなければならないような構成に変化する。その結果、水平な角度に対して直角にたてられる絵画の軸は破壊された。

鑑賞者はプロウンの周りを動き回って絵画を眺め、自分の動きに従って変化する形態を感じ取らなければならない。「プロウン」は鑑賞者の能動性を要求する絵画なのである。リシツキーは、鑑賞者の運動、そして「プロウン」とその鑑賞者が存在する空間をも想定して制作したのである。このような三次元空間を想定した二次元平面という発想が可能になったのは、リシツキーが建築の専門教育を受けたからにほかならない。

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鑑賞者に対する能動性の要求――これは、リシツキーがデザインした本でも実現されている。1922年に制作された絵本『二つの正方形の物語』の大まかなストーリーは、社会主義をあらわす赤い正方形が、黒に打ち勝って地球を治めるというものである。この絵本では、書物の空間を意識しながら言葉と形態が配置されている。冒頭でリシツキーは子供たちに呼びかける「紙、棒、木片を手に取れ、積み重ねよ、彩色せよ、組立てよ」。『二つの正方形の物語』では、抽象的で簡潔なストーリーと形態しか与えられていない。それを手掛かりに、想像力を働かせて自らの絵本を作っていくことが子供たちに求められているのである。また、マヤコフスキーの詩集『声のために』は、タイトルが示すとおり、黙読ではなく、声に出して読むことを目的として創られた詩である。マヤコフスキーは読者に能動的な音読を要求し、生きた言葉を体感させようと意図している。本のページの右側にはインデックスが付されており、素早く詩を見つけ、別の詩へとスムーズに移行できるようになっている。リシツキーは、いわば、直感的な操作を可能にする書籍のデザインを実践したのである。

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1920年代になると、リシツキーはいくつかの展覧会の会場デザインを担当する。1923年、ベルリンでの展覧会のために考案された《プロウンの部屋》では、形態が壁をまたいで連続的に現れ、床や天井にも方形が出現する。《プロウンの部屋》では会場を移動する鑑賞者の運動が考慮され、作品、空間、鑑賞者のダイナミックな関係が問いなおされる。さらに、1928年にケルンで開催された出版と印刷に関する展覧会「プレッサ」では、リシツキーは単なる展示を超えて空間全体を創造した。この展覧会場には、新聞や雑誌、写真など、ソビエトの社会主義建設の表象がびっしりと張り付けられたオブジェがそびえ立っており、一歩中に入った者はアジテーションの空間に包まれる。鑑賞者と形態、空間のダイナミックな関係を常に考慮して制作を行ったリシツキーは、アジテイターとしてもその才能を発揮したのである。

国際的な感覚を持ったユダヤ人であり、先鋭的な絵画のモダニストであり、社会主義の有能なアジテイターであったリシツキー。そのアイデンティティは彼の創作と同じように複雑だったにちがいない。

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