アレクサンドル・モロゾフ「保守的な革命、クリミアの意味」(記事翻訳)

保守的な革命、クリミアの意味:アレクサンドル・モロゾフが語る、クリミアの併合が我々に呈示した新しいプーチンについて。彼はもうまったく《ペレーヴィン》ではないことについて。

文:アレクサンドル・モロゾフ

[『チェマダン』編集部より]

インターネットのリベラルなオピニオン・サイトCOLTA.RU上に、2014年3月17日に掲載されたアレクサンドル・モロゾフの記事の翻訳をお届けする。モロゾフは、ジャーナリスト、政治学者で、同じく社会・政治時評を扱うインターネット・ジャーナル『ロシア雑誌』の編集長である。クリミア自治共和国をロシアへ編入する条約にプーチンが署名した前日の記事になるが、ロシア人ジャーナリストの一人がプーチンのクリミアへの対応をどう捉えているか、興味深い内容になっている。

© アレクサンドル・ペトロシャン/コメルサント

1.

ウクライナ危機は完全に新たなフェーズへと移った。クリミアの住民投票が行われたのだ。今、必要なのは、我々がどういう空間に位置しているかを理解することだ。まず第一に言わなければならないのは、これは戦争であって、商売ではないということだ。ロシアでは最近まで《インタレスト・ポリティクス》の精神による解釈を見ることができた。つまり、プーチンは、賭け金をつり上げることで、《交渉を有利に進られる立場》をとって先々に何か特典を得られるようにする、というわけだ。クレムリンが住民投票を盾に脅しつつ、実際にはそれを行わなかったならば、確かにそうだっただろう。プーチンがこの住民投票に基づいてクリミアをロシア連邦に編入するか否かということは、現在ではすでに意味をもっていない[この記事が公表された時点では、まだプーチンは、ロシアへのクリミアの編入を宣言していない—『チェマダン』編集部註]。明らかなのは、プーチンの古くからのパートナーたち、すなわち、諸国のリーダーたちからすれば、そのレトリックと政治的決定によってクレムリンは2月25日と3月16日の間で、完全に《囲いの外へ》出たことになる。

現在進行中のこのことについては、三つの解釈がロシアのメディアやサイトで広がっている。

一つ目は、ウクライナ危機への激しい干渉は、最初からクリミアを掠奪する目的があったというものだ。これは《コソボのリベンジ》である。この解釈が前提としているのは、クリミアを奪ってプーチンはそれで満足するだろう、というのは、プーチンからすれば、90年代末に踏みにじられた敬意のバランスのようなものを取り戻すことができるからだ、というものだ。プーチンの踏み出したこの一歩は、最終的には《シンメトリックな応答》と認められ、日常はそのまま先へと進み、世界の様々な中心地との協力関係のすべてはロシアに対して保持されるだろう。そして、協力関係の水準は危機が起こる以前にまで戻るだろう・・・。こうした解釈は、ヨーロッパやアメリカ、そして他の全世界と、冷たいか熱いかはさておき戦争を始める決定をプーチンが下したということを考慮していない。話はもっぱらリベンジの行為とstatus quo[対等なステータス]とについてだ。クレムリン的にいえば、クリミア掠奪の意味とは、オバマ自身が最近発言した、オバマへの親書にある文字通り次の言葉、「あらゆるものが価値をもっている」ということである。言い換えれば、ヴラジミル・プーチンはおそらく、自分が何か《新しいプロセス》を始めているのではなく、たんに《コソボの代償》を取りたてていると考えているのだ。

二つ目の解釈は、クレムリンの《ウクライナ戦略》が、すなわち西欧と新しい戦争を行うことを意識的に望んでいるのだ、ということをポイントに組立られている。クリミアはただのcasus belli[開戦の口実]というわけだ。目的とは、コソボの報復ではなく、破壊まではいかずとも、できあがっている世界の政治構造を修正しようとする意識である。つまり、第二次大戦の結果も、1991年の結果も、国際組織の役割や地位といったものも完全に再検討することだ。端的にいえば、新しいエポックをはじめるということだ。そうした精神で書かれたのが、クリミアの住民投票当日に出た、有名な外交政治の解説者フョードル・ルキヤノフの記事である。

三つ目の解釈を呈示したのはグレプ・パヴロフスキーだ。彼によれば、プーチンがウクライナ危機に参加したのは、自国の権力システムをかえるためのただの口実ということになる。クリミアの危機を利用して、プーチンはロシア国内で対応するための《先制革命》のような何かをはじめたのだ。パヴロフスキーが前提としているのは、その目的が、対立陣営の壊滅ではなく(そうでなくとも2013年にすでに対立陣営には圧力がかけられていた)、内部エリートの大規模な淘汰のようなものの下準備にあるということだ。この解釈において問題は、そのアクションでクリミアに動員された《紅衛兵》集団をプーチンが誰にけしかけようとしているのか、ということになる。想定されている《西欧との聖戦》の壁をぶつこの《衝撃波》は、いったいどこへ向けられねばならないのか? 誰がまさに《売国奴》や《国家の敵》となければならないのか?

パヴロフスキーが用いている《革命》という言葉は、古いマルクス主義的な意味ではなく、異なる意味である。革命とはまさに、《手続き上の民主主義》空間から抜け出ること、規則的な状態から抜け出ることである。そして不確定な状況を生みだすことである。思い出すべきは、1930年代のヨーロッパにおいて多くのリーダーたちが《プランなく絶え間ない革命》を行ってきたことだ。忘れてならないのは、ヒトラー主義とはまさにその最後の段階で《あらゆる問題の最終解決》のための具体的なプランを持っていたということである。それ以前の長く続いた段階においてそれはまさに、絶え間ない緊張状態と戯れる、危険な遊戯であった。この遊戯の結末を明確に思い描くことなく、不確定な状況に対してイニシアティブをとる権利を簒奪する、そういう危険な遊戯である。

現在のプーチンには、いかなる《新しい世界設計》のプランもないことははっきりしている。そのプランはくっきり描き出されるかもしれないし、そうでないかもしれない。それは、革命そのものの動きに則るだろう。クリミアは、まさに明瞭な最初の証明である−−あらゆることが可能なのだ。

例えば、クレムリンは軍隊をバルト三国との国境付近へと動かし、そこからNATOの部隊の撤退を要求することができるだろうか? あるいは、クレムリンはルシン人たちをロシアへ組み込むための運動を興すことができるだろうか? 現在、あらゆるこうした一歩を押さえるものは何もない。その一歩は、通常の政治的合理性ではなく、革命的合理性によって定められているのである。ブーツを塹壕に突っ込む覚悟があれば、その後から扉全体を押し返そうとしてみてもよいだろう。

 2.

クレムリンは迅速に、ウクライナ危機に加わってからの数週間の間に、決定的に、そしてもはや公式のものとして1991年のことを解釈し直した。今では、1991年はもう《民主主義的な革命》ではないし、共産主義からの解放でもなく、ロシアが自由な世界へと抜け出したということでもない。それはもっぱら《地政学的な敗北》とされている。そのあとに続くのは、リベンジだろう。

言い換えれば、《不確定な状況》の創造に伴う、プランではなく、目的である。そしてその目的が、リベンジなのだ。

以前、2012年までの期間は全体にわたって、プーチンの政治路線は二つの概念を通して記述されてきた。それは《資本主義化》と《主権[最高権力]》である。これは完全に伝統的な政治論理であり、西欧にとってもわかりやすいものだ。ロシアは資本主義化されきっていない。だから、クレムリンは資本主義化を行って、自国の企業も、自国の経済全体も、さまざまなグローバルな指標に則った世界経済という文脈へと組み込んだ。たとえば、[天然ガスのパイプラインである]ノルド・ストリームもサウス・ストリームも発展させている。そして、伝統的なポリティクスをその主権の中で行っているのだ、と。

しかし、《クリミア》は、クレムリンが別のポリティクスへと完全に移っていることを示している。現在、クレムリンは資本主義化を犠牲にし、制裁のもとで進み、原料に関する協力関係の回路を断絶し、口座凍結のリスクを負う覚悟ができている。同じようにクリミアは、古い、つまりは保守的な《主権》というコンセプトの拒絶をも意味している。《主権》というコンセプトは革命時のそれへと変えられているのだ。正確にいえば、資本主義化と主権とが、未決定の未来の状況を生みだすこととリベンジのポリティクスへと交換されているのである。

リベンジは、通常の政治的ディスクールの力で満たされはしない。リベンジには別の合理性がある。それは政治的神話に依拠している。利益、商売、為替、協力、機構、伝統的な《インタレスト・ポリティクス》といった概念、つまり、概してrealpolitik[リアルポリティクス]のディスクールがその場所を明け渡すのは、リスク、ヒロイズム、英雄化された自死、そして、この《革命》の理念的な擁護者の一人、M. レーミゾフが書いているような、《宿命》である。あらゆる犠牲や最終的な破滅をもってしても、それが不条理であることを、こうしたポリティクスをもった指導者たちに対して説き伏せることはできない。反対にいえば、《ロシアとは、プロジェクトではなく、運命なのだ》(V. プーチン)ならば、運命は受け入れなければならないのだ、防空壕の中で自決することに直面していたときでさえ。戦争反対者たちはここ数日モスクワで集会を行っている。その中で行われている試みは、政治的神話に対して合理的な反論を提起しようというものだ。広がっている反論の一つはこうだ。《あなた方の子どもたちが戦争に動員されてもいいのですか?》。この論証がいかなる作用も持っていないことを我々は見ている。政治的神話の感染者たちは、成功以外に未来に対する他のいかなる選択肢も見てはいない。つまり、《クリミアは我々のものだ!》。

3.

ゼロ年代、クレムリンはロシア連邦のためのアイデンティティを定義した。それは《地域大国》である(バリアントとしては《エネルギー大国》もある)。このことは全てのパートナー諸国にとってわかりやすい宣言であった。2012年3月以降、クレムリンは保守的でモラル的なレトリックを展開しはじめ、何か《保守的なコミンテルン》のようなものを創り出す方針を採ったかのような印象が生まれた。つまり、伝統的な価値を支持する人たちの思い描くリーダーとして、プーチンのイメージを世界規模で固定することに資金を使おうとしているような印象だ。これは、《メディア戦略》として受けとられていた。つまり、政治的ポストモダンの一要素としてだ。レトリックとイメージ・システムを政治活動と結びつけずに展開することである。レトリックと政治活動は決して歯車で連動しているわけではないように思われた。レトリックはイメージに作用し、リアルポリティクスはグローバルな安全保障の規範と協力の枠組み内部で継続されていくだろう、と。

しかし、そこで、我々が間違っていたことがわかったのだ。《反マグニツキー法》(2012年12月)からクリミアの掠奪(2014年3月)までのおよそ一年の間に、急激な変化が起こったのだ。これはすでにポストモダンではない。現実的な衝突である。レトリックの歯車が現実と噛み合って、そしてクリミアが起こったのである。

4.

今後、多くの人はかつてを回顧して、プーチンは《最初の日からそうだった》のであり、あらゆることは1999年の高層アパート連続爆破事件から明らかである(そういう解釈のし直しも、今後、妥当なものとなるだろう)と言うだろうが、しかし、にもかかわらず、2014年の2月終わりから3月始めにかけて我々は、この生まれ変わりのプロセスの証人(と人質)になったのだと私は思う。プーチンは、たんに高い賭け金の賭博師になったのではなく、以前とは異なる、別の政治家に変貌したのである。それは《永久革命家》であって、あらゆる資源を不確定的な状況、予測不可能な状況を生みだすことに投げ出す革命家なのだ。同時に我々は、生まれ変わったロシア社会の証人でもある。その社会はソ連崩壊後25年も持たなかった。旧ソ連の他の諸民族との違いは、ロシア社会は《熱くなりすぎて》、新しい世界で自己自身の整備を処理することができなかったのだ。我々は、《クリミア奪取》の際の、この社会の大部分にうまれた素朴な喜びの証言者である。ちょうどクレムリンがルサンチマンとリベンジ主義を支えに戯れはじめてすぐ、明らかになったのは、大部分の教養がある階級、すなわちmiddle class[ミドル・クラス]の人々は、十分に高いレベルの生活を持っていながらもリベンジの欲望に打ち負かされたということである。未成年の狂信者がもつような本能的なリベンジの欲望に。

政治的空間そのものも生まれ変わった。2012年までロシアにいたのは左翼、右翼、そして中心であった。その中心とはかたちのないものであり、《統一ロシア》からの官僚たち、《職業的自由主義者たち》(たとえばクドリン)、《職業的保守主義者たち》(たとえばヤクーニン)、《職業的社会主義者たち》(たとえばミローノフ)といった人々の混合で成立していたが、2012年の抗議への応酬としてプーチンは政治的な中心の配置を完全に破壊した。この自由になった空間へ流れ込むのが《ミズーリナ[=反同性愛法]》だ。このことに一致するのが、マスコミシステム全体の変貌である。大雑把にいえば、現在、政治情報の中心は、古い『コメルサント』ではなく、新しい『イズヴェスチヤ』だ。現在の《政治情報の中心》は、クリミア掠奪のみならず、ほどほどの専制君主からまったく新しい人物像へと生まれ変わったプーチンをも、満場一致で支持しているのである。現在のロシア連邦の元首は《保守的な革命家》である。それはリベンジ主義の賭博師であり、ロシア連邦のもつあらゆる古いステータスを、20世紀の結果として出来上がった世界の構造全体へ揺さぶりをかけるために、犠牲にする覚悟があるのだ。現在、ロシア政治の中心には、責任能力のある人物はもういない。中心を満たしているのは世界的な《保守的な革命》の支持者である。この新しい中心のリーダーとなるのは、ジャーナリストのD. キセリョフ、作家のE. リモーノフだ。古い中心の残滓は急いで吠えたてるだろう。「ああ、ひどいもんだ!」−−議会の派閥の古いリーダーたち(S. ミローノフ)、あるいは以前はまったく害のなかった文化人たちがしているように。こうした文化的、政治的なエスタブリッシュメントは、すでに明らかなように、奈落に身を投げようとしている。危うい歴史的状況の創造に加担しようとしているのだ。

フョードル・ルキヤノフはその記事の中で次のような考えに我々を誘おうとしている。すなわち、プーチンは《ゴルバチョフを行うこと》を決定したのだが、それはつまり、1989年に戻り、東西陣営の世界の崩壊という状況をもう一度仕切り直すことを決めたのだ、と。だが、そうではない。プーチンが仮に、すべての世界の賭博者たちと政治的相互関係にある中で関税同盟やユーラシア同盟を生みだす努力を続けていたならば、そうだろう。例えば、彼がゼロ年代にノルド・ストリームやサウス・ストリームを掘りながら、交渉の中でパートナーとしての隣人たちへ、それらが合理的な《ロシアの利害》というコンテクストで受けとられるべきことだと示したようなかたちの政治的相互関係の中でだ。だが、クリミア併合が示すのは、これがまったく《ゴルバチョフを行うこと》ではないということだ。これは《ヒトラー=スターリン》を行うことなのだ。それは1930年代の力のポリティクスを行うことである。そして理解すべきは、これはすでに《ペレーヴィン》[邦訳も多数ある、いわゆるポストモダン系のロシアでも人気の現代作家−−『チェマダン』編集部註]ではないということ、すなわち、ポストモダニストのレトリックによるポリティクスではないということだ。ポストモダンのポリティクスは、笑いを刺激し、笑いを引き起こし、笑劇の印象を生みだすのだが、そのとき、現実の変化や支払わなくてはならない代価とは無関係なのだ。

左翼的か右翼的かはさておき、革命には高い代償を払わなければならない。《保守的な革命》は高くつく。この対価を支払わざるを得ないのは、プーチンが具体的にアメリカ大統領やドイツ首相と仲違いしたからでは全くない。たんに無分別そのものが高くつくからである。それはとても高い代価を孕んでいる。それを支払うのは、あらゆる階層、すべての家族たちである。《保守的な革命》の到来を喜んだ人も、それに反対した人も。

オリジナル・ソース:http://www.colta.ru/articles/society/2477

「私たちは、軍隊ではない。」:ウクライナ《右派セクター》リーダーへのインタビュー(翻訳記事)

«Мы — не вооруженные силы»「私たちは、軍隊ではない。」
:ウクライナ《右派セクター》リーダーへのインタビュー
〜ロシアのニュースサイトLenta.ruのインタビュー記事の翻訳〜
 

[『チェマダン』編集部より]
マスコミでも報道されているように、ウクライナ南部クリミア自治共和国で3月17日に、ロシアへの編入の是非を問う住民投票が実施された。同共和国選挙管理委員会によれば、投票率82.7%、開票率75%の段階で、ロシアへの編入に賛成票を投じた人の割合は95.7%に至っている。95.7%という数字の異常な高さは除くとして、この住民投票によってロシアへの編入が承認されること自体は結果を見るまでもないことだった。今後、ますますクリミア自治共和国を巡って、クリミア自治共和国、ウクライナ、ロシア、そして関係諸国は、その緊張を高めていくことだろう。

現在進行形のウクライナの混乱は、ヤヌコヴィチ政権が打ち倒され、新たな暫定政権が成立したことによる。その一連の流れを追うことは我々の手に余るが、以下のインタビューのために、少しだけ補助線をひいておこう。
一連の事件の発端となったキエフでの反政府市民運動は、昨年の11月からはじまっている。ヤヌコヴィチ大統領(当時)がEUとの関係を強化する法案を成立直前で反故にしたことに端を発したこの大規模な市民デモは、独立広場で展開され、きわめて長期間にわたった。その間、1月19日にはデモ隊と治安部隊の間で大きな衝突があり、欧米メディアからの批判・EU首脳陣からの説得もあり、ヤヌコヴィチ政権もこのデモでも中心的な役割を担っていた主要野党の指導者らと妥協点を探ろうとしていたが、落としどころは見つからなかった。

出口が見つからぬ膠着状態の中でプレゼンスを増してきたのがウクライナのナショナリストたちのグループであり、そうしたナショナリストたちの連合団体として、このインタビューでとりあげられている《右派セクター》がある(ちなみに日本では他に、《極右セクター》、《ライトセクター》といった訳語が用いられている)。2月19日から21日にかけて多くの死者をだした治安部隊とデモ隊との激しい衝突は、こうした状況下で起こったことである(このときの模様が日本のマスコミでは大々的にとりあげられていた)。当時のキエフの惨状を写真や映像で目にした人ならわかるように、たとえば、火力の面で、治安部隊がデモ隊を一方的に鎮圧できるならば、ああした状況が生まれるはずはない。

プーチンが現在の暫定政権の正当性を認めない論拠の一つは、正当な手続きを踏まずにクーデターによって政権がかわったことにある。しかも、プーチンは、暫定政権がこうした過激派の活躍によって成立した政権であり、政権内部にこうした過激派が影響を及ぼしているとして批判の矛先を向けている。もっとも、これは例のアメリカ国務省が発表した「プーチン大統領の10のフィクション」の10番目に挙げられて批判されている見解ではある。しかし、一方で、ある種のリアリティを獲得しているのも確かである。

そうした観点から、『チェマダン』編集部では、ロシアのニュース・メディアLenta.ruが行った《右派セクター》の幹部の一人へのインタビューを翻訳してお届けすることにした。こうしたウクライナのナショナリストたちの見解(の一つ)を、日本語で知ることはなかなか難しいからだ。

さらにもう一点、この記事を翻訳したのには理由がある。このインタビュー記事が公開されたのが3月10日、そしてその二日後の3月12日に、このニュースサイトLenta.ruの編集長は突然更迭されてしまった。実際の判断がどのようなものだったかは不明であるが、この記事が民族的な対立を煽るものと認識されたことが原因と言われてもいる。この更迭に対し、内部の編集者など全体のおよそ80%にあたる40人が辞表を提出し、抗議の意を示すという事態に発展した。この記事はそうした種類のものでもある。

ウクライナやクリミアの一連の動乱に関しては、現状では、あらゆる切り口からあらゆる物語を紡ぐことが可能であり、無論、編集部としても、特定の政治的立場にコミットするわけではないことは念のために記しておく。

写真: ダーコ・バンディク/AP

[Lenta.ru編集部による解説文]
戦闘的な運動におけるナショナリストたち《右派セクター》は、ほとんどウクライナ革命の主役のように思われている。
ウクライナ東部の住民たちは彼らを恐れ、ロシア国営放送は彼らをネオナチのように報じている。3月はじめにロシア連邦予審委員会は、《右派セクター》の指導者ドミトリー・ヤロシ氏をテロ行為煽動の罪で刑事告訴し、彼は国際指名手配された。
それにもかかわらず、去る土曜にヤロシ氏はウクライナ大統領選挙への立候補を表明した。彼の代理人の一人であり、《右派セクター》キエフ支部のリーダーでもあるアンドレイ・タラセンコは«Lenta.ru»に対し、ウクライナ的ナショナリズムとは何か、何故活動が政治に関わり、軍事介入の際にはロシア軍とどのように戦うつもりかを語った。

《右派セクター》の活動家の大部分のように、タラセンコ氏は、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の国外逃亡後に政権復帰したヴィクトル・ユシチェンコ時代の政治家たちを断固として信じていない。
まさにそれゆえ《右派セクター》は政党であろうとしており、リーダーのドミトリー・ヤロシ氏を大統領に選びだそうとしている。にもかかわらず、ウクライナのナショナリスト達はまだ政権に入ろうとはしていない。独立広場での勝利後、《右派セクター》は入閣を提案されたが、彼らは広場に留まることを選んだ。

タラセンコの言葉によれば、「皆が信じうるような統一的な教会やエリート」が存在しないウクライナにとって、統一された唯一の思想となりうるのはナショナリズムである。
彼は、クリミアは元来ウクライナの土地であり、タタール人にとっても「故郷になった」が、ロシア人にとってはそうではないと考えている。
ウクライナからの独立を望む少数のロシア人に対し、タラセンコ氏はある忠告をしている――「ロシアに去るべきだ」と。
同時に、《右派セクター》のキエフ支部のリーダーは、彼の同志が「民族や政党の範疇で人々を分けているのではなく」、「彼らの行動に基づいて」判断していると述べている。
彼らは、ウクライナのナショナリズムを擁護するならば、いかなる民族の市民とも和解する心構えがある。ただ、彼らが敵意を覚えるのは「ウクライナは存在せず、ウクライナ人も、ウクライナ語も存在しない」と語る人々に対してである。
ウクライナとロシアの公然たる軍事衝突の場合、タラセンコ氏は「大規模なゲリラ戦」となることを見込んでいる。
しかし現在のところ、武力行動は、クリミアも含め、《右派セクター》は避けている――タラセンコ氏は、クレムリンが武力を行使する為の挑発を待っていると考えている。

[インタビュー]
Lenta.ru(以下L): 《右派セクター》は何故、政治に介入し、政党を結成しているのでしょうか?
アンドレイ・タラセンコ(以下、AT):私たちは常に、いかなる政党も問題を解決しないと述べてきました。いかなる体制も壊すことができるのは、また別の体制だけです。私たちは政治に介入していますが、これは我々がすっかり政党になることを意味しません。政党にもなる、というだけです。相互制御のような状態が生じ、私はそれがそのままダメにならないように望んでいます。

アンドレイ・タラセンコ
写真: ヴァレンチン・オギレンコ/ukrafoto

L:何故《右派セクター》の指導者ドミトリー・ヤロシ氏は大統領選に立候補したのでしょうか? 彼が選出されないことは明らかだと思うのですが。
AT:彼が失敗すると誰がいいましたか? まあ見てみましょう。
L:ヤロシ氏はより穏健派な右派の政治家たちから票を奪うので、それを受けて地域党暫定代表のセルゲイ・チギプコ氏(前副首相、ウクライナ南東部出身の大統領候補と予想される一人—Lenta.ru註)が躍進することになるでしょう。
AT:それは現実的ではありません。独立広場で起こったことは、国や政権だけでなく、国民全体を変えました。独立広場にいる人々は、自分たちの指導者たちがなにか正しくないことを言ったとき、彼らをやじります。既に多くの人々が口にしており、いまとなってはチギプコ派の人々が勝利を得ることは全く現実的ではないでしょう。
L:《右派セクター》は現在、政権内で起こっていることとどう関わっていますか? そこには第三代ウクライナ大統領であったヴィクトル・ユシチェンコ時代の政治家たちがいますが。
AT:ウクライナ全国民とまったく同じように満足していません。まさにそれゆえ、我々が政治に介入しようとしているのです。まさにそれゆえ、人々は我々に政治への参加を要請し、「あなたたちが行動しない限り、この状態は今後も続いてしまう」と言っているのです。
L:3月1日に《右派セクター》は動員を呼びかけました。もし革命が終わっているのならば、何の為に更に人員が必要なのですか?
AT:戦争の可能性に関する問題です。もしロシア連邦軍がキエフへ進攻してきたら、私たちは祖国を防衛することになる。
L:あなた方はかなり激しくロシアのクリミア進攻に関して発言し、「友情の列車」という声明も出しました[クリミアが侵されるようなことがあったら義勇兵を結成して派遣するという声明を《右派セクター》は2月25日に出した—『チェマダン』編集部註]。なぜ、あなた方は結局クリミアに向かわなかったのですか?
AT:私たちは運動として、クリミアに行くと言ったのではありません。私たちの考えでは、クリミアで起こっていることは――「グルジアの筋書き」と全く同じです。ロシアは、クリミアに誰からかまわず引っぱりこもうと手を尽くしてきました――それは現地の軍隊、あるいは現地以外の軍隊、あるいは我々です。我々が奪還を始め、射撃を始めるようにです。あたかもかつてグルジア大統領のミヘイル・サアカシュヴィリやったように。それによって彼らの侵略を正当化できるところまで状況を持っていこうとしているのです。
なぜ、今、プーチン氏は負けつつあるのか? なぜ、全世界が、この侵略に反対しているのか? それは、彼の目論んだように物事が進んでいないからでしょう。もし彼が、現状におけるあらゆる根拠を欠いたまま行動し続ければ、これは解釈の余地なく彼の負けとなるでしょう。

2014年3月9日、セヴァストポリ付近でウクライナ軍部隊を遮断しているいわゆる「クリミア自警団」
写真: バズ・ラトナー/Reuters

L:もし、ロシア陸軍がドネツィクに進軍した場合、あなた方はそこへ行くことを計画していますか?
AT:我々は、軍隊ではありません。我々は、空から掩護された軍部隊に抵抗することは出来ないのです。だから、二、三千人の軍隊に対抗して私たちが出て行くなんて言うのは滑稽です。私たちは防衛策を練っていますし、もちろん、全力で敵を抑えます。
L:キエフにいる私の知人達が冗談で言っているような、ゲリラ戦を展開するという意図は無いのですか?
AT:それは冗談ではありません。ウクライナ人にはゲリラ戦を行ったという大きな経験があります。ウクライナ人は素晴らしい軍人であり、彼らの戦闘能力は世界に名高い。ウクライナ蜂起軍(UPA)は何年もの間、外国からの支援がまったくないまま戦ってきました。UPAのゲリラ戦の戦術は、アメリカのウェストポイント(アメリカ陸軍士官学校—Lenta.ru註)で教えられています。
ヤヌコヴィッチ打倒以前は、もし独立広場において武力的掃討が行われたり、平和的な人々に射撃がなされたりする場合、ゲリラ戦がはじまると我々は言ってきました。もし、ヤヌコヴィッチが逃亡していなかったら、そうなっていたかもしれません。仮にウクライナ軍が撃滅されたら、大規模なゲリラ戦が始まるでしょう。ウクライナは――小さなグルジアではありません。そこがロシアにとっては遥かにややこしい点でしょう。

ウクライナ蜂起軍、カルパチア山脈にて

L:しかし、今現在、クリミアでゲリラ戦を展開する必要は無いのですか?
AT:(答えるかわりにうなずく)
L:なぜ、ウクライナのナショナリスト達にとって、クリミアはそれほど重要なのでしょう? ここはかつてのロシア領なのですが……
AT:何の根拠があって? 面白いことをいいますね。
L:もしくはタタールの土地とも言えます。しかし、どちらにせよリヴィウではない。
AT:クリミアは――ウクライナの土地です。それはクリミア・タタールの民族が存在する前、そして当然モスクワが存在する前からです。クリミアの土地だの、ロシアの土地だのと言うことは――ただ馬鹿馬鹿しいことです。クリミアは、太古からウクライナの土地です。あの土地で、クリミア・タタール人が民族として形成されたことは、単にクリミアが彼らの生まれた土地でもあることを示しているにすぎません。このようにして、私たちの領土の一部が彼らの故郷になったのです。このことに関して、他の見方はないでしょう。
L:何故、あなた方の戦闘員は、今日まで、クリミアで警棒とナイフを携帯しているのですか? 威嚇の目的でしょうか?
AT:誰に対する威嚇ですか?
L:私は知りません。
AT:私たちは誰のことも威嚇していません。

ドミトリー・ヤロシ
写真:ユーリー・キルニチニー/AFP

L:でもうろついてますよね。
AT:それはあくまでも警備と自衛が目的です。ヤロシ氏に関する裁判は始まっているし、我々は彼を抹消するために特殊部隊が送られたという情報もつかんでいます。これまでに彼と私を抹殺するというウクライナ治安部隊の命令がありました。
L:《右派セクター》は先日、独立広場で警察に対して武器を使用したことを認めましたね。
AT:我々は決して射撃してはいません。独立広場でも、その外部でも。
L:しかし武器は持っていたんですね?
AT:我々がそうした状態になったのは時期的にはとても遅く、革命がまさに戦闘行為に達したときでした。我々は、許可をとって武器を個人所有している人々に向けて、独立広場に集まるように呼びかけました。問題は人々に対して大量射撃が行われるだろうということだったので、我々は自衛することを許可したんです。
L:あなたは射撃しなかった、と? じゃあ、誰か他の人が射撃しましたか?
AT:我々は射撃していない。確かです。
L:もしあなたが《右派セクター》は武器を使用していないというのならば、じゃあどのようにして蜂起の最後の日に警察に勝つことができ、彼らを追い払うことができたのですか?
AT:わからない。彼らはおびえたのかもしれないし、彼らには退却命令が出たのかもしれない。おそらく、彼らがちょうど退却をしはじめたが故に、人々が前へと突進していったのだと思います。隊列を組んだ銃撃戦ではなく、ばらばらに人々が動き、ばらばらに警官が逃走したのですから。

2014年2月20日、キエフの大学通りでスナイパーの射撃に狙われているデモ隊
写真:セルゲイ・スピンスキー/AFP

L:《召された百人》(独立広場で亡くなった活動家たち—Lenta.ru註)に《右派セクター》の人間は一人もいなかったと言われています。これは本当ですか?
AT:それは本当ではない。死んだ者もいましたが、多数ではありませんでした。その理由は、我々は常にトレーニングし、どのように行動し、動き、退却し、前進するか、我々の仲間の動きを計画的に練っているからです。我々の仲間は部隊では整然と行動し、的確に司令官の命令を守り、けが人を見捨てることはしない。
AT:実際に人々はばらばらに前へと飛び出し、彼らに対する銃撃が始まったから多くの人々が死んだ。協議なく実行に移されたのです。我々はそれには加わっていません。2月18日に行われた排除に対して我々の小部隊がグルシェフスキー通りで活動していたとき、自衛部隊は政府機関地区にいたんです。
自衛部隊はそこで撃破され、グルシェフスキー通りの小部隊はヨーロッパ広場に築かれていたバリケードまで退却し、完全にそこを守っていました。そこでは装甲車が焼かれており、我々は全く戻ることができなくなったのです。大学通りにいたのは、部隊として組織されていない、本能的に行動したふつうの市民たちでした。警官が防御を突破して我々の仲間たちの背後にやってきたとき、我々はこのバリケードからは離れることを余儀なくされました。
L:最後の日にあたる2月21日の大学通りでの狙撃では、人々が木製の盾を手にスナイパーの方に向かい、亡くなりました…
AT:我々は脆弱な枝ではない。我々の仲間は命令を遂行するのです。だから我々の仲間は「さあ、素晴らしい、進め!」と思って突撃して死ぬことはない。だから私たちには死者が少ないです。しかし、一番最初に亡くなったうちの一人、ベラルーシ人のミハイル・ジズネフスキーは我々の仲間でした。
あるいは、ハリコフ地方行政府での騒乱の折に、独立広場で戦った者たちが追い出されたとき、我々の仲間二人が死んでいます(3月1日の事件についての話—Lenta.ru 註)。ただ我々はこれについてPRをすることはなく、目に涙を浮かべてそこで我々の仲間が何人死んだことかと叫ぶために表舞台に出るようなことをしなかっただけです。これは、PRのネタなどではないし、そんなPRは異常なことですよ。

2014年3月1日、ハリコフ行政府の建物掌握後のロシア派の活動家たち
写真:セルゲイ・ボボク/AFP

L:《右派セクター》は浄化[国家保安機関の旧職員やその協力者の開示およびその責任追及を行うこと−−『チェマダン』編集部註]に積極的に進出していますが、私の見ている限りでは成功していません。残念ではないですか?
AT:我々の法律家たちは現在、浄化と武器に関する法律について取り組んでいます。我々は、市民は武装しなければなないと考えています。スイスのように。スイスは小さな軍を持った中立国ですが、必要な時は全ての国民が軍になることができます。私は、これは全く正しいと思っています。
L:《右派セクター》は内務省の重要なポストを提供され、ヤロシ氏を国家安全保障・国防会議の評議会のリーダー代理に抜擢されるという話がありましたが、あなた方は結局そうしたくなかったのか、あるいは何が望みなのでしょうか?
AT:我々は、何の影響力もなく何も決定できないポストを提案されました。もし幹部たちの政治を管理することができるならば、我々は何らかのポストをやってもいいと話しています。でも、そんなことは誰も望みはしないでしょう。今の、幹部たちの政治、内務省や他の省庁を見てみなさい。これに憤慨して人々は、独立広場での犠牲者たちがこんなことのために亡くなったのではないと言っています。

《召された百人》
イラスト:ユーリー・ジュラヴェリ

L:ヤロシ氏は《右派セクター》におけるロシア嫌悪を積極的に否定していますが…
AT:いったいどこから我々がロシア嫌悪であるということを聞いたんですか? 我々には概していかなる嫌悪もまったくありません。我々はウクライナのナショナリストです。つまり、我々は自分の国家を愛していて、国家のために何かを行うということです。我々はあらゆる他の民族を尊敬している。グローバルな世界においては、どのナショナリズムの目的も、民族国家という原則に則って世界を作ることです。どの民族も自分の政府を持つべきじゃないですか? したがって、ウクライナのナショナリズムにはショービニズムもファシズムもないのです。これはまったく異なる問題です。
L:しかし《右派セクター》のそれぞれの活動家たちの中にはショービニズムが広まっていて、ナチズムも同様に広まっています。《ユダヤ人とモスカル[ウクライナ人、ベラルーシ人、ポーランド人のロシア人兵士に対する別称−−『チェマダン』編集部註]》や、かぎ十字に関する冗談も少なくはない。ナショナリストは常に何らかの外敵を必要とします。ロシアではナショナリストたちは、たとえば北コーカサスや中央アジアからの移住者に対して敵対しています。
AT:我々の仲間は実に様々です。ウルトラ・ナショナリストからウルトラ・リベラルまでいる。しかし、民族的理念がすべての人々を結びつけている。これはウクライナを統合しうる唯一のものであり、我々にはこれ以外のものはないんだ。我々には統一された教会はないし、軍隊は疲弊しており、全ての人々が信頼できるようなエリートの政治家もいない。
しかしそれにもかかわらず、我々はなんらかの国に対して憎しみは持っていません。ウクライナ人でないあらゆる民族への態度に関して、我々には、ステパン・バンデーラによる明確な定義があります。我々と共に戦う者に対しては義兄弟のように接する。何もしないが、我々を理解し、支持する者に対しては絶対的に中立で寛容な態度をとる。そして、ウクライナは存在せず、ウクライナ人やウクライナ語は存在していないと語る者に対しては敵対的な態度をとる。
その人間がどの民族かは重要ではありません。我々は民族や党の区別によって思考したことは決してないし、我々は常に人間をその行動によって区別します。したがって我々がロシアについて語るとき、我々はロシア人やロシア政府について言っているのではなく、クレムリンの帝国主義的な政治を指導している者のことを言っているのです。

2014年1月19日、グルシェフスキー通りでの警察との衝突に加わった者の盾には《14/88》と書かれていた[88は「ハイル・ヒトラー」の隠語であり、14は「白人至上主義」を意味し、しばしば両者は民族主義者によって組み合わせて用いられる−−『チェマダン』編集部註]
写真:セルゲイ・スプニスキー/AFP

L:この間あなた方の《フ・コンタクチェ[ロシア最大のSNS−−『チェマダン』編集部註]》のグループにおいてヤロシ氏のアカウントからチェチェンの戦闘員のリーダー、ドク・ウマロフへ、ウクライナ支持を訴える呼びかけがありました。その後、あなた方はサイトがハッキングされたと言っていますが、そこにはかなり好意的にチェチェンの戦闘員を評価する2008年のヤロシ氏へのインタビューがあります。
AT:これもまたナショナリズム・イデオロギーに由来しているものです。我々はそれぞれの民族は固有の自民族の政府を持つべきであると言っています。そしてこれは、帝国主義のくびきの下にいる全ての民族に関わることです。したがって我々は、どの民族であろうといつも自らの独立を求める戦いを支持してきたし、これからも支持するでしょう。チェチェン人もまた一つの民族です。
我々はまた何百年も独立のために闘ったが、決してテロリズムや一般市民を攻撃する活動を支持したことはありません。ウクライナ民族主義者組織の歴史を見てみれば、そこには住民を殺すテロリスト的行為は決してありませんでした。
L:その意味ではあなたは、ウクライナから分離を望むドネツクのロシア人たちを支持しなければならないのでは。
AT:あなたは考えを取り違えています。わたしは民族について話しているのです。あなたはドネツクに束の間の間いるロシア人たちについて話しているわけです。
L:しかし彼らはそこにいます。
AT:もし彼らがロシア民族であれば、彼らにはロシア連邦という本国があります。いったいどんな問題があるというのですか? ここは何世紀もの大昔からウクライナ人が住むウクライナの土地です。違いがわかりますか?
L:つまりロシア人は単にロシアに帰るべきだと?
AT:もし彼らがウクライナを気に入らないのだったら、どんな問題があるというのか?
L:ロシア語の使用を制限する何らかの必要はあるのですか?
AT:それは、どこかで何らかの形でロシア語が迫害されるという、例のいつもの帝国主義的な神話ですよ。私自身はスヒドニャク(ウクライナ東部からの移住者—Lenta.ru註)です。私は人生の半分はロシア語で話していました。しかし今、私がどこか東部でウクライナ語で話せば、私は迫害される。
L:しかしあなた自身はロシア語で話すのを拒否しますね。なぜですか。
AT:なぜならば、私はウクライナのナショナリストだからです。あなたは私の言うことを理解するからです。
L:ほんとうでしょうか?
AT:私がモスクワのあなたの元にやってきて、あなたにインタビューをして、ウクライナ語でしゃべるようお願いすることを想像してみてください。あなたはウクライナ語でしゃべるでしょうか?
L:私はウクライナ語を知らないですから。
AT:私だってもうロシア語はわかりません、すでに忘れています。

2014年3月9日、ドネツクのレーニン像でロシアを支持するデモの人々
写真:コンスタンチン・チェルニチュキン/Reuters

L:ウクライナの雑誌『レポーター』は普通の戦闘員として二週間《右派セクター》の元で過ごした記者の記事を掲載しました。そこで彼は、《右派セクター》は街路で酔っ払いを探し、気に入らない奴は捕まえ、あるいはチトゥーシキして[政治目的で身体的暴力を加えること。スポーツ選手チトゥーシコの事件に由来する−−『チェマダン』編集部註]、トイレで厳しく尋問することを詳しく書いています。あなた方はこうした実際を何とかしようとしましたか?
AT:もちろん何とかしようとしました。そのようなことはつねに間近で起こっていました。そうした人たちが我々の元に連れてこられたが、我々は彼らをもとの所へ帰しました。みな若く、興奮して闘っていたんです。多くのものに対して彼らは敵を見出していました。我々はこれを何とかしようとしながら、特別なグループさえ作りました。彼らは《チトゥーシキ》を連れてきた連中と話し、掴まえた時の様子を明らかにし、片っ端から殴るようなことがないようにしました。次第に我々はこのようなことを克服しました。
L:《右派セクター》は、代表者のアレクサンドル・ムズィチコ(サーシコ・ビリーとして知られる)とは彼の卑劣な行動のために手を切りたいと思わないのですか?
AT:なぜ我々は彼と手を切らなければならないのですか? 彼は武器を持たずに検事を脅したのであり、ただ彼のネクタイを引っ張っていただけです。マスコミはいつも映像や言葉の一部を取り上げ、間違った大きさにまで誇張しています。
実際のところムズィチコはこの検事の命を救ったといえます。この検事はある人を釈放し、ある女性が殺された事件の審理を進めなかった。それで、その検事と共に検察庁を焼き払ってしまおうという、武装した市民が集まったのです。ムズィチコはこの争いを止める役を自ら買って出て、検事のもとに行きました。もしムズィチコが検事に花を持って行ったならば、人々は彼も検事も八つ裂きにしていたでしょう。でもそうでなかったから、このようにして争いは消えたのです。そして人々は満足し、検事は審理を再開しました。
L:あなた方は、ロシアのテレビの宣伝の影響下にある、ロシア人とロシア語を話すウクライナ人にとっての自分のイメージをただすことを考えていますか?あなた方はPRの仕事をしていますか?
AT:我々はあるがままです。我々は政治家ではない。我々は偽らないし、何も捏造しないし、嘘もつかない。まさにそのために市民は我々を支持してくれているし、それは、我々は正直だからだ。政治家は常に多くを語るが何も語っていない。我々はあまり語らないが行動によって語るのだ。賢い人間はそれがわかるだろうし、私は、アホな奴らのために何かするということには意味を見出していないのです。
L:国の半分の人は東部に住んでいますが、そこでは人々はあなた方をかなり否定的に見ています。あなた方は東部での何か特別な活動を予定していますか? もしそうならば、どのようにして?
AT:私はすでに数年間キエフに住んでいるものの、東部出身であり、ドミトリー・ヤロシ氏は生涯ずっと東部で生活しています。これに関しては何の問題もない。そのことはいつも吹聴され、東部で我々は誰からも愛されないということがいわれています。しかし問題は、我々がどんな人間かではなく、何を行い、どんな考えをもっているかです。ウクライナ中で人々はこの我々の考えを同じように受け止め、我々に電話し、手紙を書き、我々のもとにやってくる人々は、大部分が東ウクライナからの人々です。《右派セクター》の半分は東部出身のロシア語を話す人々であり、半分はウクライナ全土から来るウクライナ語を話す人々です。彼らは互いに結びつき、生活し、共に戦かっている。我々の元にはロシア語を話すロシア人もおり、ロシアからやってきてバリケードで我々と共に戦っているのです。

ウクライナ語通訳:オリガ・イワノワ
聞き手:イリヤ・アザル(キエフ)
オリジナル・ソース:http://lenta.ru/articles/2014/03/10/pravysektor/

クリミアの劇場事情

ロシアの演劇雑誌『チアトラール』で、クリミアにある3つの異なる劇場の指導者たちに電話インタビューが行われた。3つとは、ロシア系、ウクライナ系、タタール系だ。混乱が収まらないウクライナで、クリミアはキエフに続いて今後の動向の焦点となっている。ロシア系の住民が多いことは確かであるが、「人数が多い」こと以上の意味を持たせているのは、現在のところ政治的な立場に依るものでしかないように思える。複雑な歴史を持つクリミアの政治事情に詳しく踏み入ることは現時点では難しいが、今現在、クリミアの劇場がどのような状況に置かれているか、を情報として出しておきたいと考えた。もちろん、ロシア系、ウクライナ系、タタール系の人々の内部でもそれぞれの異なる考えがあるだろう。

しかし、民族的な対立を煽るような局面が展開するなかで、個々の演劇人たちの「印象」には、いろいろと思うことがある。それぞれの立場で現状の認識が異なっていることは見逃してはいけないだろう。「いま現在、現地でなにが起きているか、そしてその状況がどのように彼らの仕事に影響を与えているかを訊ねた」という『チアトラール』の記事をここに訳出して紹介する。

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クリミアの劇場:ある状況への様々な視点(Елена МИЛИЕНКО

ビリャル・ビリャロフ、クリミアタタール・音楽ドラマ劇場芸術監督

ビリャル・ビリャロフ、クリミアタタール・音楽ドラマ劇場芸術監督

街の状況は非常に緊迫している。5分後になにが起きるかわからない。タタール人たちは自宅から出ないようにしている。うかつな言葉で他の民族の人々と衝突したくないからだ。互いにテリトリーを略奪しあう動乱の時代が訪れたように思える。まさにそれゆえ、自警隊が組織されている。ロシアのマスコミが報じているものは、完全に嘘で、[キエフの]独立広場の写真を使って、それがクリミアで起きていると伝えている。ドミトリー・キセリョフ*の言葉を聞けば、ゲッベルスのプロパガンダも色褪せるだろう。我々は常にロシア人ともウクライナ人とも平和に生き、彼らと共に生きてきた。我々は皆、ロシア語という一つの言語で話し、相互に問題などなかった。現在、突如我々の身を守りに来た人々がいる。誰から身を守ろうというのか?

ロシア語を禁じようとする政治家の放った軽率な言葉を、切り札のごとく捉えることは、ある人々にとっては好都合だった。そして、その言葉は広がっている……。必要なのは、論理的になり、「誰が祖国の言葉で喋ることを禁止できるのか?」ということを考えることだった。キエフの独立広場で騒動が起きたときでさえ、クリミアではみな平穏だったのに、いまは本当にひどい状況だ。政府の建物は占拠され、至る所でロシアの旗が掲げられ、道には勲功章のない制服を着た武装した人々や装甲車が行き交っている。

それゆえ、私たちは全ての上演を中止し、俳優たちには家族を連れて当分の間街を離れるよう言った。劇場は生活と結びついており、我々は、外がこのような状況のときに、ここで歌ったり踊ったりはできない。劇場は自らの市民的な立場を維持するべきで、そうでなければ誰からも必要とはされない。

*プーチン大統領が国営ロシア通信を改組して作った国際通信社「今日のロシア」の社長


ヴァレリヤ・ミリエンコ、ゴーリキー記念クリミアアカデミー・ロシアドラマ劇場女優

ヴァレリヤ・ミリエンコ、ゴーリキー記念クリミアアカデミー・ロシアドラマ劇場女優

街の外はすべて以前通りです。閉鎖されていた中心部の道には車や路面電車が行き来し、人々は仕事に行っています。しかし、もちろんそれでいて、私たちはみなクリミアの運命について話しています。困ったことには、どこから情報を得るべきかが分からないのです。ニュース番組を見れば見るほど、ロシアのものも、ウクライナのものも、全てのチャンネルが現実を歪めていることをますます確認してしまう。みんなでっち上げているんです。

我々の劇場に関して言えば、通常通り動いており、客席も満席です。2月末の夕方の上演だけ、1000席の客席で50人の観客しかいませんでした。これは、ちょうどこのとき広場でタタール系住民の集会が開かれ、ロシア系住民に対して挑発を避けるため家を出ないよう警報が出たことと関係していました。ちなみに、親ロシア派の集会が開かれたときには、タタール系の人は同様にいませんでした。このように、互いに発言をするために場所を譲り合い、我々は衝突を避けようとしています。

クリミアは現在すべて平穏です。しかし、キエフではすでに国家総動員のアナウンスがなされています。しかし誰に対して彼らは力を動員しようとしているのでしょうか? 同じウクライナの住民に対してでしょうか? いろいろな国から私に電話がかかってきて、彼らはロシアに対してただ攻撃を浴びせています。一面では、私はウクライナ自身が自分たちの問題を解決することに賛同します。しかし他面では、独立広場のこと、そこで行われていることを見れば、沈静化のために別の権力を呼び寄せてしまうでしょう。今後どうなるかわかりませんが、クリミア、ウクライナ、ロシアの間で生じている状況が平和裏にできるだけ早く解決することを望みます。


ユーリー・フョードロフ、クリミアアカデミー・ウクライナ音楽劇場主任演出家

ユーリー・フョードロフ、クリミアアカデミー・ウクライナ音楽劇場主任演出家

劇場の状況は完全に通常通りだ。上演を行い、朝も夜も毎日稽古をしている。唯一上演を中止したのは、内閣庁舎と国会が占拠されたという情報が出た時だった。これらの建物を誰が占拠したのかは、まったくわからなかった。我々の劇場が内閣庁舎から100メートルしか違わないレーニン広場にある以上、我々は仕事に向かわないという決定を受け入れた。しかし、建物が安全な状態にあり、いかなる過激主義者も認められず、今後その可能性もないことが分かってから、我々は再び仕事に出た。劇場を満席にするとは言えない。というのも、交通機関の中断があったからだ。我々の劇場にはなにしろほかの街からも観客が訪れ、人々は上演後に自宅に戻れない事態を懸念しているからだ。現在街の中心部は解放されており、交通機関も動き、全ては以前通りだ。もちろん、広場でデモ行進が行われていることを除いてだが。しかし、集会を開いている人々のスローガンから理解できる限りでは、彼らはみな安定と秩序を訴えている。つまり、スローガンは、現実的で、建設的で、それ故に近いうちにすべてが落ち着くことを期待している。

http://www.teatral-online.ru/news/11122/ からの翻訳)

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ちなみに、本誌『チェマダン第三号』(http://chemodan.jp)に「クリミア・タタールの伝統=現代文化の一断面」という記事を掲載しています。クリミアの簡単な説明と、クリミア・タタール文化の一つである陶器についての記事です。
合わせて参照していただければ嬉しいです。