モスクワに住む若い夫婦との雑談(後半部)

モスクワに住む若い夫婦との雑談(後半部)

前回の続きです。前回途中で切ってしまっていたので、前回の終わり部分も少しですが前半部のポストに書き足してあります。今回は主に政治の話です。少し情報が古いですが、このインタビューは2014年7月末に行いました。

後半

[続き]→前半はこちら



ベラ:それで政治の質問は?

編集部:ウクライナとプーチンについてどう考えているか知りたいんだけど。まずいまウクライナで起こっていることに関してどう思う?

グレブ:うーーーむ

ベラ:いまから私たちがそのこと話すでしょ。その後、まずいことになるわね。笑

グレブ:これはすごく答えたくない質問だな。この質問に関して僕の考えは根本的にオフィシャルなロシアの立場とは異なっている、と答えるだけではだめかな? 僕は、ウクライナで起こっていることはロシアにとっては恥ずべきことだと思っている。

ベラ:私もグレブに賛成、この状況はこの国になにもいいことをもたらさないわ。逆に、この国は社会の醜い側面を何か見せてしまった気がするの。

グレブ:まわりでは攻撃的な言動や排他的な言動がすごく増えている

ベラ:言い争いのどちらか一方に与しているわけではなくてね。こういう状況では全員が正しくないんだわ

編集部:グレブ、君はいまウクライナで起こっていることが、ロシアにとって恥ずべき事だと思っているの?

グレブ:うん、というのもウクライナには確かにロシアの軍隊がいたと思っているからだ。実際、彼らはクリミアを占領した。さらにロシアはウクライナ南部の民兵〔親露派〕を支援している。

ベラ:私はどれも説得力があるようには思えなくて。ただ分裂が起きて無政府状態になっている場所で国民投票をするのは、すごく良くないことだと思う。

グレブ:あと、これに関してあらゆる大衆メディアがひどい情報戦を繰り広げている。これはとても良くないし、恥ずべき事だと思っている。これは敵が病気のときに食べ物が入った冷蔵庫を奪ってしまうような行為なんだ。

ベラ:面白いメタファーね。笑

編集部:続けて

グレブ:そして単に奪うだけでなく、壁に赤いペンキで馬鹿げたことを書くような行為だ。僕は体制が僕らの社会を人質にとっているような感覚がある。

ベラ:地政学的な観点からは、クリミアを併合することがいいことだとしてもね。

グレブ:それは偏執狂的といってもいいよ。僕はそうは思わないんだ。いまは19世紀じゃない。

ベラ:そう、問題の倫理的な側面をこれでは正当化できないの。でも体制は誰も人質にとっていない。みんな満足しているんだもの。私たちは偉大な帝国で、自分たちの土地を奪還するんだって。ウクライナはまだ西側に出て行きたいと思うだろうし。プーチンはあらゆる人間の裏を書くでしょうね。社会が考えているのはそういうことよ。ほんの一部のリベラルな人たちとグレプ、あなたを除いてね。笑

グレブ:社会がなにを考えているかは分からない。僕は社会学的な考察をしているわけでもないし、レヴァダ=センターが発表していることも信じない。

*レヴァダ=センターとはロシアの非国立の世論調査機関

編集部:ベラ、君がいう「社会」っていうのはなに? リベラルな人たちとグレプ以外の人々?

グレブ:僕も社会だ。

ベラ:そうね、ただ朝に私と一緒にメトロに乗っている人たちのことよ。彼らはコムソモリスカヤ・プラヴダを読んでいて、そこにはいま言った事が全部書かれている。それでも彼らはどうにか異議を唱えようなんて気を起こさない。だってあらゆる情報番組が繰り返し同じことを言っているんだもの。ウクライナは悪者で、ドンバスでは人々が殺されているって。

グレブ:ドンバスでは確かに人々が殺されている。でもそれを自問する人は少ないんだ「何故だろう?」って。

ベラ:もし他の意見が出てくるとしたら、「彼らは西側に組み込まれ、我々をむちゃくちゃにしたがっている」ってことね。

編集部:グレプ、誰がそういうことをしているの?

グレブ:ウクライナの軍隊と分離主義者たちが互いに撃ち合っていて、その弾丸が平和を望む人たちにも頻繁に当たっている。

ベラ:でもウクライナでは、分離主義者たちと彼らを助けているロシアの人間たちの残忍さが喧伝されているわ。そして、ロシアではウクライナ軍の残忍さが。

編集部:そうだね、情報が本当に錯綜していると思うよ。

ベラ:ウクライナとロシアにいる私の知人たちは死体が写った一枚の同じ写真を投稿して、相手側を非難しているわ。

グレブ:それとロシアで伝えられているのは、(ウクライナの)全員がロシアをめちゃくちゃにしたがっていて、絶えずロシアの邪魔をし、ロシア人たちを蔑視しているってことだ。

ベラ:みんな気が狂っちゃったみたい。プロパガンダは至る所にあるし。インターネット、知人、知人の親戚たち…。

グレプ:本当だよ。

編集部:君達はウクライナに関してどうやって情報を得ているの?

グレプ:Facebook、インディペンデント系のロシアと西側の出版物から。

ベラ:単にいろいろな資料を読み合わせるだけでもいい。例えば、記事を10本読んで、おおよその真実を描き出すとか。

グレプ:僕は体制側の出版物にも目を通すようにしているよ、全体像が分かるように。

ベラ:同じ事ね。

グレプ:そう、プロパガンダは至る所にある。あたかもロシアとの冷戦が全ての人にとって都合がいいかのように。プーチンは、まるで人生すべてをかけて無意識のうちに冷戦に向けて準備しているかのようだし、西側は西側で、ヨーロッパのリーダーたちは誰もプーチンのことを完全に信じきっていない。

編集部:君達が読んでいるインディペンデント系のロシアと西側の出版物を具体的に聞いてもいいかな?

グレプ:http://slon.ru/

http://www.forbes.ru/ 
http://www.vedomosti.ru/

http://www.economist.com/





 http://www.theguardian.com/

http://www.bbc.co.uk/









 http://ru.reuters.com/

まだ沢山あるよ。ニュースは沢山読んでいる。全部言った方がいい?

編集部:いや、十分だ。目を通してみるね。ありがとう! ところで、ロシアとウクライナは民族的にはどう違う?

グレプ:ウクライナは1991年に独立国家となりベラルーシとともにソ連から離脱した。

編集部:そうだね

グレプ:このときから、この国は自分たちの国家を構成していて、民族に関しても「ウクライナ人」と言えるようになった。ここには、ウクライナ人というのは、ロシア人と同じものではない、という意味が含まれていると言ってもいいかも知れない。

ベラ:人種的には、いずれにせよ、様々な人たちで構成されているわね

グレプ:中国人と韓国人と同じようなものだ。長いこと隣り合っているのに、まったく別の民族だ

ベラ:韓国と中国の例は適切じゃないわよ。同じ国だったことあった? それに対してキエフとモスクワの歴史は切り離せないでしょ。言うでしょ、キエフはロシアの都市たちの母だって。

グレプ:ソ連っていうのは人工的な構成体なんだ。文化的、歴史的に民族の個別性は明らかだよ

ベラ:キエフはロシアの国家体制の揺籃の地でしょ。

グレプ:ベラ、じゃあそれならモスクワ公国の時代から、13世紀から考えてみよう。13世紀初めにフセヴォロド3世の息子のヴラジーミルがモスクワ公になって、自分をキエフの権力と対置した。ロシア人とウクライナ人の道が分かれたんだ。

編集部:ロシア人は全員この歴史をちゃんと知っている?

グレプ:知っているとは思えない。笑

ベラ:学校では教わるわよ。で、それで?

グレプ:いずれにせよ、「兄弟的な民族」という確固とした概念は存在している。これは、ウクライナ人とベラルーシ人がまとめて「小ロシア人」と呼ばれていたソ連以前に存在していた概念だ。ロシア帝国にはかなり緩やかに民族政策があったんだけど、誰も決してウクライナ人とロシア人が同じ民族だと言おうとはしなかったんだ。

編集部:面白いね。例えば、もし20世紀以降の歴史を考えた時、ウクライナっていうのはまだ若い国家ってことかな

ベラ:そうね

グレプ:うーーーーむ。20世紀初頭から考えた場合、それ自体はまだ国じゃなくて、民族的な独自性を明確に保った崩壊したロシア帝国の一部だった。若い国としては1991年以降だね。ややこしくてごめん。

編集部:いや、ごめん、そうだよね。じゃあ、例えば、ある意味でウクライナが若い国だとすると、どうしてウクライナの人たちは、まさに今ヨーロッパに出て行こうとするんだと思う?

グレプ:なんて言ったら良いのかな。僕は、「ヨーロッパへの脱出」っていうのは「良い生活」に関する神話だと思うんだ。ウクライナ人たちはヨーロッパの一部になるってことをそこまでしっかりイメージできていない。でも彼らは不正所得や汚職や不安定な日常といったものと以前の「親ロシア的」な立ち位置とを強く結びつけて考えている。独立のための長らく続いた戦いと、ロシアと東ヨーロッパに挟まれた境界領域としての絶えざる状態とを考え、彼らは後者(東ヨーロッパ)の一部となり問題を解決しようと考えている。

ベラ:ちなみに、まったく同じことがクリミアにも言えるわ。概して、人々はより良い生活を探し求めているのよ。ヨーロッパかロシアか、重要なのは、快適であることよ。

編集部:たぶん、彼らにとって25年っていうのはとてつもなく長かったんだろうね。僕はグレプに賛成かな。「ヨーロッパへの脱出」これは神話だと思う。

ベラ:25年は国としてはすごく短いわよ。アイデンティティはそんなに早く形成されないわ。でもいま起きていることは若い国にとっては将来的にいいことだと思う。

グレプ:ベラ、そうだね、でもアイデンティティの形成っていうのは必ずしも国家ではないんだ

ベラ:ネーションとして生まれるためには、ある段階を経る必要があるのよ

グレプ:うん、そしてそれが全て血を伴って行われているのがとても残念なんだ

編集部:彼らはアイデンティティを探している。でも彼らはそれをどう成し遂げればいいか知らない。こういうこと?

グレプ:そんな感じだね。

ベラ:ロシアだって知らないし、探しているわよ。笑

グレプ:でも彼らは自分たちのアイデンティティをヨーロッパを通じて確立したいんだ。ロシアか…あぁ…

ベラ:ロシアもまた25年よ、新しいロシアとして

編集部:ウクライナの人たちはどうやって自分たちのアイデンティティを見つけることができるだろう?

ベラ:彼らには言語もあるし、人種的特性もある、歴史だってあるわ

グレプ:言語と日常生活の質が安定して持続的に成長していくことだね。











ベラ:でもロシアとの衝突は国民を団結させた、これは事実よ。言ってみれば、内部でまとまるために外部の敵を必要とする、というように。

編集部:ベラ、彼らには言語はあるけど、これはロシア語の在り方とはまたちょっと違う気がする。

ベラ:ウクライナ語はとてもきれいよ。ウクライナでは人々の一定数はロシア語も話すことができる。だから、ある言語を放棄するのは難しいし、効果的じゃないと思う。

グレプ:彼らがある条件では安定して良くなることを理解するとしたら、彼らはこれをナショナリティの枠組みで受け入れるだろうね。言語について話すのはやめよう。これは簡単な問題じゃないよ!!

編集部:ところで! 君達のアイデンティティってなに?

グレプ:アイデンティティ?

ベラ:私たちはロシア人で、私たちには神様がいる。笑

グレプ:ベラのは冗談だよ。笑 これはナショナリスティックな発言だ。僕のアイデンティティはナショナリティとは結びつかないよ

編集部:じゃあ、なにと関係があるの?

ベラ:私の場合は言語と文化的文脈と結びついている。私はロシア語を話し、ロシア語で考え、ロシア語で仕事をしている。それと私たちは小さい頃にコロボーク(ロシア民話やウクライナ民話に出て来る小さな丸いパンの登場人物)やプーシキンの物語を読んだわ。これも私のアイデンティティね。

グレプ:あのね、僕らの小学校では男の子たちの間で「お前はランクいくつ?」という問いかけが流行っていたんだ。この問いかけは刑事罰に問われた人間たちのやりとりからきている。牢屋にはいくつかのカーストがあって、これは囚人が従わなくてはならない規則の量で決まるんだ。で、これが「ランク」って呼ばれている。多くのロシア人がこれについて耳にしたことがあるし、ある程度の人々はこれがどういったものかも知っている。ロシアでは成人男性の4人に1人が牢屋に入れられたことがあるとも言うしね。

ベラ:なんでそんなイヤな話を持ち出したのよ?笑

グレプ:僕はこの話をそこまで信じていないけど、この噂は流布しているんだ。

ベラ:私は信じていない

編集部:面白いね。笑

グレプ:つまりこうだ、僕らへの質問が、「ランク」に関する質問と似ているってことだよ。自分をナショナリティとか国籍とか性別とか宗教で規定(アイデンティファイ)する限り、それはあたかも牢屋のヒエラルキーの中にいるかのようで、それを変えるってのは不可能なんだ。だから、僕のアイデンティティは、グレプ・ガヴリシという名前の人間ということで、たぶんそれが全てなんだ。

ベラ:О_о




 国籍や性別はОк。で、言語や文化はあなたをどうヒエラルキーのなかに位置づけているの?

グレプ:文化というのは絶えず変わり続けるものだよ。君は毎日なにか新しいものを読んでいる。新しい行を読むごとに自分のアイデンティティが変わっているって言う事はできない? 言語もまた変わりやすい領域だ。

ベラ:文化的コンテクストっていうのはだいたいどれも一緒よ。









多くが発展はするけど、根本は変わらないわ。

編集部:じゃあ、「伝統」はどう? これも絶えず変化している?

ベラ:伝統? ロシアでは伝統は変わったし、散発的に消滅している。唯一のコンセプトというのも残っていないし。

編集部:プーシキンは伝統じゃない?

ベラ:それは文化コンテクストね。

グレプ:プーシキンは単に良い詩人で、彼からもう100年以上も文化コンテクストが生まれ続けているっていうだけだよ。

ベラ:その文化コンテクストはもう出来上がっているわよ

グレプ:僕はそうは思わない

ベラ:私はそう思う

グレプ:つまり、もしそうなら、プーシキンを通じて自分を規定することはおかしいってことになる。

ベラ:あなたがプーシキンを子どもの頃から知っているってことは、あなたを規定している。これは文化コンテクストでしょ。

グレプ:僕はプーシキンが好きだし、例えば、松尾芭蕉も好きだ。僕にとっては芭蕉もプーシキンも等しく詩人だ。

ベラ:問題は具体的な詩人じゃなくて、一般的な話よ。

グレプ:なんで? それでどうやって僕は自分を規定するんだ? 日本人としてじゃないだろ?

ベラ:あなたが個人として育った情報体系の中で規定するの。

グレプ:情報体系というのは毎日変わり続けている。

ベラ:変わらないわ。地球だって毎日変わっている。でも毎日惑星としては同じ惑星でしょ。あれ、話が完全にずれちゃってるわ。笑

グレプ:質問が難しかった。笑 いずれにせよ、僕は自分を生物学的なものから規定しているよ。

編集部:じゃあ、質問変えるね。君達は生まれ故郷(ロシア)への愛はある?

グレプ:生まれ故郷への愛はあるよ

ベラ:私もあるわ。自分が生まれたカフカス地方にはね。でもロシアの他の地域に対しても敵対心とか何も思っていないよ。笑

グレプ:僕はウラル地方に対して愛を感じているかな。

編集部:その場合、君達が愛するロシアって一体何?

グレプ:その質問も難しいよ。笑

ベラ:概して私たちは子ども時代と結びついた場所を愛しているわね

グレプ:言うならば、自分の人生に関する追懐かな。笑

ベラ:草木が生い茂って、チョコレートのお菓子があって、っていう時代

グレプ:そうだね、場所、人々、出来事そしてそういったことの思い出

ベラ:まぁ言ってしまえば、帝国的な偉大さっていうのは私たちにとって魅力を感じないし、私たちはクリミアが自分たちのものってことにも喜びを感じない。

編集部:それは、あるいは、「ロシア」に対しては特別な愛情はないとも言える?

ベラ:政府のやりかたを恥ずかしいとは思う。でも土地は愛しているわ。

グレプ:うーん愛情がないっていうと違うかな。たぶんいずれにせよあるよ。そうだね、土地は好きだ。これ大事。

編集部:なるほど。土地っていうのは良い答えだね。

グレプ:真実のようなものだよね。

編集部:ここまでかな。ありがとう! これで終わりです!

グレプ:ありがとう! 面白かった!

ベラ:ウラー。笑

Бэлла и Глеб, спасибо большое!!

ニュー・インターナショナルかポスト・グローバルか?–ケイト・ファウルとボリス・グロイスとの対談

2014 年夏、モスクワの美術館「ガラージュ」にて「ニュー・インターナショナル」展が開催された。そのときに行われた批評家ボリス・グロイスと展覧会のキュレーターであるケイト・ファウルとの対談の翻訳をお届けします。オリジナルの記事はこちら

2014年7月30日

2014年8月1日現代美術館「ガラージュ」において、世界の現代美術の発展における重要な地点として1990年代を探求する展示企画「ニュー・インターナショナル」展が開会する。展示では二つの世代のアーティストたちの作品が展示される。第一世代の代表作家たちはすでに1990年代には名が知られており、第二世代はそのとき制作の道に進み始めたばかりだった。プロジェクトの参加者たちの中には、フェリックス・ゴンザレス=トレス、グループ「アーウィン」、シリン・ネシャッド、ゴーシュカ・マツガ、ダン・ヴォー、サンティアゴ・シエラがいる。展覧会オープン前夜、キュレーターのケイト・ファウルが哲学者・芸術理論家のボリス・グロイスとパブリック・トークの形式で会談し、1990年代の現象やアート界および美術館の役割に関して生じた転換、さらに「インターナショナル」と「新しさ」という言葉の意味の変化を議論した。ボリス・グロイス氏の好意により現代美術館「ガラージュ」はこの会談の一部を公開する。

ファウル:1989年パリにおいてジャン=ユベール・マルタンがキュレーションした「大地の魔術師たち」展が開催されました。この展覧会のアイディアのひとつは、西側から50人のアーティストを、それ以外の国々から50人のアーティストを紹介することでした。マルタンは「大地の魔術師たち」は文化外交の土台となるべきではないと述べ、無名のアーティストたちの創作と、政治と関係なく、様々な国の芸術家たちの多様な視点を示すような作品を示そうとしました。

グロイス:私は1985年に「大地の魔術師たち」の仕事をはじめたときにマルタンと会っていました。当時彼はベルンのクンストハレのディレクターで、そこではイリヤ・カバコフの西側での最初の個展が開催されることになっていました。しかしカバコフは国外に出ることを許可されなかったので、イリヤは私にそこに行ってジャン・ユベール=マルタンと協働するよう頼んだのです。マルタンの考えによれば、「大地の魔術師たち」において重要だったのは、様々な芸術傾向を統合し、より広いコンテクストにおいて前衛という発想を提示してそれを再考し、西欧モダニズムの美術と結びつかない様々な歴史、様々な国々、様々な芸術に対する態度が存在することを示すことがとても重要でした。モダニズムは純粋に西欧的でネオ・コロニアリズム的なプロジェクトとして提示されました。第三世界のアーティストや多くの知識人たちはこの時に怒りを感じました。なぜならばこの展覧会はモダニズムと前衛を純粋に西欧的な現象として提示したからです。私はこの展覧会に対して相当な怒りを覚えていた人々とも語り合いましたが、彼らはこの展覧会を西欧の支配的な状況を確立するものとして理解していました。これはマルタンが意図したことからまったくかけ離れていました。大きな議論になりましたが、今でさえ、この論争を今日の視点から見ても、論争に対して特定の立場をとることは難しいことです。

ファウル:それは1980年代末のことでしたが、1997年には最初のラウンド・テーブルとキュレーターたちの内輪のディスカッションが行われ、批評家のマイケル・ベンソンもそこに参加しました。ベンソンは後日自分が見聞きしたことについて報告を出版するためそこに招かれたのです。彼は、キュレーターたちの時代が始まり、あたかもすべてを自分の手中に収めたかのようなキュレーターは、展覧会を組織することによって独自の世界構造を提示し、何がグローバルでインターナショナルなのかを決定するようになったと書きました。そしてそのとき、冷戦後の時代、ポストコロニアルの時代、アーティストたちの作品をどのように提示するかに関して議論が行われました。あなたご自身の経験について少しお話いただきたいのですが。

グロイス:第一に、そのときキュレーターの役割は重要なもの、ヨーロッパにおいては主導的なものになったと言えます。アングロ・サクソン圏と比較すると、ヨーロッパではあらゆることがはるかに急速に進行していました。これに関しては、当時画一的なアートの歴史がさまざまな文化的マイノリティの側から批判されており、その時アイデンティティ・ポリティクスの最盛期に達したため、それが規範的なアートの歴史を解放したと考えるべきでしょう。

キュレーターの企画は劇の演出に似ています。なぜならば限られた間だけ実現されるからです。ハラルド・ゼーマンやそのほかの革新的なキュレーターたちは、最初から自分の企画を、始まりも終わりもある一時的なものとして提示していました。ここにキュレーションの企画のアーカイヴ化、つまりキュレーションの実践の自己歴史化の問題が生じたのです。私もまた、たとえば、最初に西側でかなりの量の社会主義リアリズムを紹介し(2003年フランクフルトのシルン美術館での「共産主義――夢の工場」展)、キュレーターとして活動していました。しかし最後には記録しか残らなかったのです。膨大な量のドキュメンテーション――それらがアーカイヴやインターネットに残されたのです。そのため私は自分のキュレーター活動に関して複雑な気分になりました。もっとも、多くの人々が訪れ、多くの議論が行われたので、その企画は成功だったとわかっていましたし、私にとってこれは本を書くことによって受けるものとは全く異なる重要な経験だったのですが。

ファウル:さらにお聞きしたいのですが、あなたは「インターナショナル」という言葉そのものについてどう考えていらっしゃいますか。ある面では、私にとってはその言葉は最初の意味を失って、「海外のもの」や「外国のもの」とほぼ同じことを意味するようになりました。しかし、過去にその言葉は全く違う意味を連想させました。たとえば、第一および第二インターナショナル――つまりEUの出現に先立って存在した国連および他の政治組織――といったものです。あなたがこの言葉をどう理解しているのか、興味があります。

グロイス:私にとって「インターナショナル」は、グローバリゼーション、つまりグローバル資本主義市場に対するオルタナティヴです。資本は世界規模で循環しますが、人々や文化は政治と同じく循環しません。現代の世界ではわれわれは資本の支配のもとに暮らしています。なぜならば経済的グローバリゼーションの段階と政治的グローバリゼーションの段階は均衡を欠いており、グローバルな金融の奔流がある一方で、各政府や機関はローカルな性質をもっているためにきわめて脆弱だからです。芸術の制度に関しても同様のことが言えます。これに関して、つまり政治的グローバリゼーションが存在しないことに関してはマルクスも書いています。彼はすでにこの資本のグローバル化の始まりを目撃しています。第一インターナショナルの組織は、資本のグローバル化に対して政治的なオルタナティヴを創り出す試みでした。ここ10年間のキュレーションのプロジェクトについて現在考察してみると、それらはこのようなインターナショナルなニッチを創り出していると言えます。なぜならば、アカデミーや美術館を含むあらゆる芸術機関はナショナルなもので、国際的なものではないからです。キュレーションのプロジェクトは、特定の世界秩序や世界体制に所属しない理想主義的な官僚制の在り方を生み出しました。キュレーターはそのような理想主義的官僚なのです。なぜならば、彼らは、彼らの空想の中だけに存在する特定の政治秩序に奉仕し、その空想を実現するため個々のプロジェクトを創り出しているのですから。たとえば、「ドクメンタ」やさまざまなビエンナーレのようなプロジェクトは、一定期間だけ「インターナショナルなもの」が存在するという印象を創り出しますが、しかしその次の瞬間には全ては消えてなくなるのです。このインターナショナリズムは、まるでフラッシュのような一時的な性質を持っているのです。

ファウル:雑誌『e-flux』に掲載された論文「流れの中に入る――アーカイヴと総合芸術の間の美術館」において、あなたは美術館界の変化について書いています。かつて美術館は時間を停止させたが、現在では一時的な上演活動を行い、時代を反映している、と。

グロイス:伝統的な美術館は力や、支配的な立場を失ってしまいましたが、それはすでに1970年代から1980年代に始まりました。当時私は制度批判に対して懐疑的な態度を取っていました。なぜならば、まもなく制度は崩壊すると考えていたからです。非常に長い間、美術館が芸術的趣味を決定すると考えられていましたが、今では誰もこれを信じていません。たとえば、アート・フェア「アート・バーゼル」やオークション・ハウスのクリスティーズはこのことを証明しています。なぜならば、美術館はこのような組織と競争することはできず、制度としての力は美術館からなくなってしまったからです。さらに、今日ではグーグルが美術館の機能を果たしており、この点においてグーグルはきわめて効果的に機能しているからです。たとえば、ニューヨーク近代美術館やメトロポリタン美術館は、おそらく、コレクションの7パーセントしか展示していません。しかしインターネット上ならすべてのコレクションを展示することができます。これは大きな変化です。なぜならばこのような状況のもと、美術館が展覧会、映画の上映、会合、読書会、シンポジウム、音楽のコンサートなどの活動を行うことでますます面白くなっているからです。美術館は社会活動の中心となり、観照の場ではなくなっています。美術館の活動で重要な事、それはブログです。たとえば、もし美術館に興味を持ったとすれば、常設展ではなくその活動を面白がるでしょう。そしてその美術館のサイトを訪問し、現在何が行われているか見ますよね。

ファウル:1998年にルクセンブルグで欧州ビエンナーレ「マニフェスタ2」が行われました。キュレーターのロバート・フレックは「コミュニズム後の芸術」という論文を書きました。そこで彼は20世紀末のアーティストたちによって新しいスタイルが創り出されていると語っています。たとえばイリヤ・カバコフや1990年代に有名になった世代はさまざまな場所で展示をしていますが、その時期に成長し、有名なアーティストたちから影響を受けた別の世代のアーティストたちもいます。そしてしばしば批評が芸術実践の中心となりました。1990年代にアーティストたちは彼らが興味をもっていることや批評に反応し、自ら互いに批評し合っています。たとえば、フェリックス・ゴンザレス=トレスや「アーウィン」グループは、まさに「私はインターナショナルな作品については語らない。私は新しいタイプの芸術を提示して、世界で起こっていることに視線を向けたい」と語っています。このような見方には賛成ですか?

グロイス:ある面では、アーティストが市場で仕事をするなら、例えばモード界といったある市場の領域で、きわめて様々な形で仕事をすることになるでしょう。アーティストたちがオブジェの制作を避け、長期ベースのプロジェクトやパフォーマンスを行おうとしているアート界に関していえば、ドキュメント化が生じます。あらゆるドキュメンテーションは似たり寄ったりなのです。ペルー出身のアーティストのドキュメンテーションやテキスト、写真を見て、その後マレーシアのアーティストの作品を見るとします。問題は異なっており、アーティストたちも様々ですが、ドキュメンテーションは似ているのです。もし若いアーティストを招けば、彼はあなたに企業理念やコマーシャルの手法に近いパワーポイントを見せるでしょう。ニューヨークのうちの大学で試験をしていてアーティストのスタジオに行くとします。そこには机、椅子が二つ、ノートブックパソコンがあってアーティストは自分の活動を見せます。自分の作品ではなく様々なプロジェクトに参加したことが書かれている活動履歴を見せるのです。このことは、作品の形式がどのくらい伝統的な手法からドキュメンテーションへと変わってしまったかを示しています。

ファウル:あなたは「新しさ」という言葉について多く書かれていらっしゃいますが、私はこれをわたしたちの展覧会「The New International」に使いました。なぜならば、1990年代に視覚芸術の新しい制度としてのニュー・インターナショナル・スタイルについての言説が生じたからです。当時この言葉は常に語られていましたし、全ては「新しさ」でした。あなたは「新しさ」について本(2014年イギリスの出版社Verso Booksから出版された『On the New』)を書かれました。私はその本をまだ読んでいませんが、あなたのエッセイ(ロシア語訳は2012に出版された論文集『詩学の政治』に収録)で同様のテーマについて知ることができます。この言葉についてどのようにお考えですか?「新しさ」はその可能性を失ったのでしょうか。

グロイス:あなたの展覧会のタイトルはいいと思います。「新しさ」に関しては、私はテクノロジーには新しいものは何もないと考えています。なぜならばテクノロジーは新しくなるのではなく、ただ完成されたり、改善されたりするだけだからです。このとき新しいものが古いものにとって代わります。新しいアートというのは逆で、古いアートにとって代わるのではなくアートのアーカイヴに収まるだけです。現在の飛行機とタトリンの作品である《レタトリン》を収めたアーカイヴがあるとします。前者が後者にとって代わることはありません。古いものと比較するパラダイムの中にそのコンセプトを設定する限りにおいて、新たなインターナショナリズムは新しくなりうるのです。たとえば、かつてマルクス、チトー、トロツキーの解釈に基づくインターナショナリズムがありましたが、現在では新しいインターナショナリズムが現れました。それは古いものにとって代わるのではなく、単にその歴史を継続させているだけなのです。

ファウル:私たちが「The New Internationl」展の仕事をしていた時、コミュニケーションのプロセスや情報交換をどのように実現させるか思考しました。たとえば、イリヤ・カバコフは人間というものをひとつの統一された存在とみなします。しかし他のアーティストたちは、逆になんらかの特定の状況や特定のコンテクストから出発しているものの、私たちに普遍的なものを感じさせようとしています…

グロイス:私は普遍主義はインターナショナリズムと同じではないと思います。ある面では普遍的になることを望めるでしょう。たとえば、マレーヴィチは普遍的なイメージ――つまり黒い方形――を生み出したいと考え、そのような道を選びました。なぜならば、どのイメージもその構造において黒い方形が存在しているからです。このようにして彼は普遍的なイメージを生み出しました。しかし、たとえばアレクサンドル・コジェーヴ(ロシア出身のフランスの哲学者、最も影響力を持った20世紀フランスの哲学者のひとり。死後膨大な写真アーカイヴを遺し、2012年にグロイスはそこから選んだ作品で展覧会を行った[『Chemodan』本誌にコジェーヴに関するグロイスの論文「賢人としての写真家」の翻訳を掲載している])もまた普遍的であろうとしましたが、しかしそれはむしろ写真家として、カメラになって世界を中立的な立場から眺め、写真機の中立的なまなざしを体現することによってでした。

ファウル:会場から質問を受けたいと思います。

質問者:グロイス氏には「複製ツーリズム時代の都市」という論文があります。そこであなたは自分のアイデンティティを十分明確に残している古い都市とは反対に、新しい都市は循環を始めると述べています。そしてわれわれは世界のあらゆる場所にそれぞれの都市の要素を見てとっています。実際、同じことが世界の文化的アイデンティティの点で生じています。たとえば料理やデザインなど、われわれはあらゆる場所で何らかの文化的特徴に出会います。これに関して月曜日のレクチャーではあなたは、グローバルな世界にいるアーティストたちや多くの人は自分の文化的アイデンティティを保ちたがるとおっしゃいました。つまり、ドイツに住むアメリカ人たちは自分のことをアメリカ人だと感じますが、これはあらゆる人に当てはまるというわけです。ナショナリティという枠組みで文化的現象を考えることはどの程度できるのでしょうか。それともこれは全く展望のないアプローチなのでしょうか。

グロイス:私が移住したとき、「あなたはロシア的なものやロシア人の典型的代表者ですね。私たちに話をしてくださいよ」と言われました。わたしは最初はこのような要望に対して不器用に反発していました。「とんでもない、私は典型的ではありませんし、そんなことわかりませんよ。もっといい人がいます。私はもうロシアを全く知らないんですから」。私は普遍主義により傾倒していて、私の話を聞いた人々は残念そうに私を見ました。しかしあるオランダの女性アーティストだけは(アムステルダムでの講演のときに)こう言ったんです。「あなたのことが分かったわ。あなたは、よくいる普遍的になりたがる典型的なロシア人よ」。こうして私の典型的な性質が明るみに出ました。これは私の教訓になりました。きみは、普遍的であれ、自分の好きなように自分を見せればいいんだよ。しかし他の人は君を自分の眼でながめ、君のことを、ロシア人に特有の普遍的になろうとしている人間として見るだろう。これに尽きるよ。つまり、他者の見方という単純な事実があるだけなのです。この見方はリューマチみたいなもので、抗う方法はありません。好きなだけ反発することはできても、どんな方法も役に立たないのです。

質問者:私は展覧会のテーマに興味を持ちました。私はお話全体から三つのテーゼを見つけました。第一に、キュレーションの実践は芸術活動のひとつのグローバルなかたちであるということ。第二にグローバリゼーションが起こりうるということ。第三にキュレーターはイリュージョンの世界にいるということです。

グロイス:これは私が言ったことのかなり正確な総括ですね。しかし問題は、この特徴づけが批判的なものとも賛同的なものとも受け取れることです。私は個人的には賛同的なものと受け取ります。というのも、アートそのものがイリュージョンの世界であり、これらのイリュージョンには多くの段階があるからです。アーティストも、キュレーターも、鑑賞者も自分のイリュージョンを創り出すからです。まとめると、多層のパイが出来上がるのです。眺めるのが現実だったとしても、それは単により面白みに欠けるイリュージョンの組み合わせなのです。

モスクワに住む若い夫婦との雑談(前半)

モスクワに住む若い夫婦との雑談(前半)

ロシア人の若い夫婦とのインタビューを模した雑談。二人は地方出身で現在はモスクワに住んでいる。前半と後半に分け、今回は前半です。

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グレブ:グレブ、28歳です。エカテリンブルグに生まれ、いまはモスクワに、もう12年住んでいる。ロシア国立人文科学大学の歴史学部、政治法学科を卒業した。いまは博士論文を書きながら、Transparency Internationalのロシア支部で働いています。

ベラ:ベラ、27歳、生まれと育ちはナリチクです。ナリチクというのは、カバルジノ=バルカリアにあります。モスクワにはいったりきたりしながら2008年から住んでいます。仕事は雑誌や広告業界。

編集部:ありがとう。じゃあ最初の質問。どうしてモスクワに来ることになったの? 大学にはいるため?

グレブ:僕の母親が仕事を変え、家族でモスクワに来た。大学に入りたいという僕の希望とも合致していたけど、主な理由はこれだね。

編集部:ベラ、いったりきたりというのはどういうこと?

ベラ:モスクワに住みたいと思ったことは一度もないけど、ただ、私が最初に結婚した男性がモスクワに住んでいたからそうなったの。それから知り合いが増え、仕事もあって、街に慣れたわ。いったりきたりっていうのは、2009年に地元に半年戻っていたから。笑

編集部:つまり君達は最初は(あるいは今まで?)モスクワに住みたいっていう気持ちはなかったということ?

グレブ:僕はそう思った事はなかったね。いまでもモスクワは好きじゃない。けど、満足に生活するためには本当にお金が必要で、そのためには稼がないといけない。

ベラ:えっと、たぶん本当に若かった時、14歳くらいのときはそう思っていたわ。というのも一番いいライブは全部モスクワだったから。でも、そんなに強く思っていたわけでもなく、モスクワに来たいという気持ちを持ち続けたりはしなかった。まぁ、モスクワの悪口を言うことにしたのよ。笑

モスクワが好きだってあけすけに言う人は少ないわ。でも、それぞれに街のいいところもあるし、モスクワが好きな時期というのもある。でも、モスクワがなんで良くないかを話すのはちょっとイケてないわよね。

グレブ:うん、僕にもモスクワのなかで気に入っている場所が少しはあるよ。

編集部:モスクワに関して言えば、時々ロシア人はモスクワは完全に別世界だって言うのを聞く。だから、モスクワに引っ越してきたロシア人たちはなにか特別な感情や考えをモスクワについて持っているのかな、と思ったんだよ。つまり、「なぜこんなに多くの人々がモスクワに集まるのか」に興味がある。

ベラ:それは、ロシアの他の地域と比べて、所得も生活水準も高いからね。なにかが得られるチャンスがあるから、みんな次々と集まってくるのよ。

グレブ:二つ理由があると思う。一つは平均所得が高いこと。二つ目は社会的なステータス。

編集部:グレブ、「社会的ステータス」ってどういう意味で使っている?

グレブ:もし僕がモスクワ出身のデザイナーだったら、それはヴォログダ出身のデザイナーよりもイケてるってことになる。たとえ仕事が半分しかできなくともね。

編集部:面白いね。もう少し詳しく聞かせて。モスクワ出身というのは、「モスクワ生まれ」ってこと、あるいは単に「モスクワに住んでいる」ってこと?

グレブ:なんていうか、モスクワに住んでいるということは、ロシアでは特別なステータスなんだ。モスクワ人は伝統的にあまり好かれていないし、傲慢でケチだと思われている。ここには、中央政府があり、そうした権力に近いということはある種のシンボルだ。モスクワ生まれかモスクワに引っ越してきたか、この違いを気にしているのは、モスクワ生まれ人たちだけだね。つまり、“モスクワ人”と“それ以外”でなんらかの差があると。そして、“モスクワ人”はさらに“モスクワ生まれ”と“モスクワに移ってきた人たち”で区別される。そして、なによりも、“生粋の”モスクワっ子であることが一番イケている。

編集部:ところで、収入についてなんだけど。ちょっと突っ込んだ質問いいかな? モスクワで生活するためにはどれくらいお金が必要なんだろう? また、生まれ故郷で生活するためにはどれくらい必要?

ベラ:どういう生活をするかに依るわね。笑

グレブ:僕たちの収入はモスクワの平均に比べてあまり高くない。






モスクワでは、僕らの消費水準では一人、だいたい月15万ルーブル〔編集部註:現在の為替レートでおよそ37.5万円〕くらい必要かな。

ベラ:地元では5万ルーブルあれば足りるわね。

グレブ:エカテリンブルグでは、5万ルーブルの給料があればいい方だと考えられている。

ベラ:でも地元ではなにも必要ないから。笑

編集部:モスクワで一人月15万ルーブルくらい、これは実際の感覚ではどう? モスクワに住んでいた時、カフェやレストランの値段によく驚いていたんだけど。

グレブ:それだけあれば、住居を借りて、食べ物を買って、簡単な洋服買うのに十分だし、娯楽も、映画や展覧会にも行ける。もし車を持っていたら、お金はもっと必要だとは思うけど。うん、外食費は本当に高いよね。

ベラ:うん、ちょっと高い洋服だって買えると思うし、旅行だってできると思う。レストランにはいずれにせよ、毎日はいかないし。もし行くとしても、ふっかけてこない場所を知っていればいいのよ。

グレブ:東京で住むにはいくらくらい必要?

ベラ:ルーブルでね。笑

編集部:生活の水準によるかな。笑

ベラ:じゃあ、特別おしゃれはしないけど、欲しいなと思ったものは買えるくらいでは?

編集部:10-12万ルーブルくらいなのかなぁ?

グレブ:だったら、モスクワとほとんど似たようなもんだね

ベラ:でも、東京ってモスクワより高いって思われているんじゃない?

編集部:でもモスクワのほうが東京より高くない?

グレブ:東京行ったことない…。

ベラ:いま世界の都市の物価高リストのサイト観たけど、モスクワはリストにも載っていないわ。でもジェノヴァでは前に金欠に陥ったわ。

グレブ:モスクワでは、5−700円で軽食が食べられて、地下鉄の切符が、80円くらい。家賃の平均は80000円/月くらいかな。

ベラ:モスクワの端っこに借りれば、71000円くらいあるわ。

編集部:なんで円で言ったの?笑

グレブ:興味あって、笑。まぁだいたい、すごく簡単な昼食で300-400ルーブルだね。メトロの一回券は40ルーブル、家賃は3万ルーブル。

ベラ:25000-30000ルーブルはもう端の値段じゃないと思うわ。

グレブ:僕たちの家賃は25000ルーブルだけど、これは本当に稀だと思う。

ベラ:一番質素な昼食って言ったらもっと安いわよ。150-200ルーブルくらい。

グレブ:でも、150ルーブルだと少ないよ。笑 これだとどこか道ばたの売店でサラダ一つだけだ。

編集部:ベラ、モスクワにそんなランチあるの?

ベラ:うん、サラダが50ルーブル、メインが100ルーブルの食堂なんてたくさんあるわよ。クールスカヤ地区にはランチが110ルーブルのところがあるわよ。

グレブ:えー、僕は平均的な昼食について話していたんだけど……。安いところを見つけることはできるけど、平均的な値段で言えば、300ルーブルくらいだと思うよ。

ベラ:場所によるわよ。

ベラ:

ベトナム系のレストランに行けば、だいたい数コペイカで食べられるわ。〔100コペイカで1ルーブル〕

グレブ:あとは、教会なら時々無料で食べさせてくれる。あるいは公共食堂(工場式の大調理場がある食堂)もいいね。

ベラ:でもね、モスクワの食事はそんなに高くないわ。高いのは、不動産と交通、それとクラブで飲むお酒ね。最後のは、いろいろ議論があるだろうけど。それと、洋服も高いわ! でもモスクワではほとんど誰も服を買わないわね!

編集部:ところで、モスクワ(ロシア)のご飯は、他の国のより美味しいと思う? どう思う?

グレブ:いや、ご飯は絶対に美味しくない。

ベラ:カフカス地方には素晴らしい料理があるわよ!

グレブ:カフカス地方は、確実に美味しい!

ベラ:つまりね、素朴な料理はモスクワの外にあって、それは新鮮なの。

グレブ:でも即座に答えるね、どんなところでも、モスクワよりは不味いところはないよ。

ベラ:それには賛成しかねるわね。素朴じゃなくて凝った料理なら、モスクワのほうが多いし、ナリチクの日本食レストランにはいかないほうがいいわ。というのも、ナリチクではもう長いこと本物の日本人を見たことはないし、料理法に関しても誰も知らないだろうから。でもモスクワでは信頼できる(相対的にね)レストランを見つけることができる。

編集部:うん、ベラの言う事はわかるよ。でも例えば、どんなレストランが思いつく? それと、洋服に関しても質問していいかな? 普段君達はどこで買い物をしている?

ベラ:あらゆるレストランね。モスクワは、大都市で、沢山の人たちが行き交っているわ。そうした中には料理できる人はいるし。ロシアの他の地域では、そういうことはないし、あってもごく僅かでしょ。たぶん、極東には沢山の中華料理屋や日本食レストランがあると思うけど。洋服は私の支出項目のなかでも多いほうね。洋服と居合道がその中心かな。

グレブ:洋服に関しては、別々に訊いたほうがいいかも。というのも僕らは好みも知識もバラバラだから。たぶんね。

ベラ:洋服に関しては、私は黒いのを着るわ。黒い物は安いと、すぐわかっちゃうでしょ。だから私はオーガニック素材のもので、Rick OwensやAnn Demeulmeesterみたいなアヴァンギャルドなデザイナーのものをいつも買ってる。そういうのは、安くはないわ。でも、セール期間にサッと手に取るの。

編集部: Leformとかで?(http://www.leform.ru/index.php)

ベラ:そうねLeformやSVMoscow(http://svmoscow.ru)とか。でも、列車でも買うわよ。〔ロシアでは郊外行きの列車などで物売りの人たちが口上をききながら、様々なものを売っている。ボールペンやノートやイコンや聖書や洋服やアイスクリームや……〕

グレブ:最近買ったもので2000ルーブル以上のものは、ヨージ・ヤマモトのバッグかなぁ。それを買ったのはベラが買えって言ったからなんだけど。

ベラ:グレブは洋服を全然買わないの

グレブ:たまには買うよ。笑

ベラ:グレブはプレゼントとしてもらうか、あるいは私が買わせるか、ね。でもこれって、ロシア人に典型的な話よね。男がおしゃれに気を使うのはダサいっていう。

編集部:グレプはあまりファッションに興味ないの?

ベラ:ファッションについて詳しいことさえ恥ずかしいと思われているかも。先入観ね。笑

編集部:うん、そのことはロシアに来る前に聞いたことあるよ。ところで、ロシア人は黒いのが好きなの?

グレブ:ロシア人は黒好きだね。

ベラ:北国の人はみんな黒が好きよ。だって歴史的に見て、冬に川で洗濯するのは寒いでしょ。笑 で、黒なら汚れが目立たないから。笑

グレブ:僕はファッションに興味を持つことは恥ずかしいとは思わないけど、ファッションの世界にあまり興味がないんだ。笑

編集部:ロシアでは、イケてる男の子はファッションに興味を持たないと。

グレブ:僕は自分のことを「イケてる男の子」とは思わないよ。笑 ただ単に僕がほとんど興味がないというだけだ。

編集部:わかった。笑

ベラ:そう、なんでかそうなの。笑 あらゆるマッチョ文化では、少しでも「男らしさ」のイメージに陰を落とすものはもう駄目ね。

グレブ:僕は洋服に詳しかったり好きなことが悪いことだとは全く思わないよ。洋服は、素晴らしいものだと思う。

追加分(2014年12月12日)

【以下書き足し部分】
編集部:日本の男性はお金があれば洋服が好きな人は多いと思うけどね。あ、あと政治のことに関して訊きたいんだけど。

グレブ:ロシアの男性も洋服が好きなんだけど、ちゃんと着こなしているわけではないんだ。本当に多くの人が「高いものは良い物だ」っていう原則にとらわれている。

ベラ:そんなことないわよ。ちゃんと着こなしている男の人もいるって。知り合いでもいるし、私のタトゥーを彫ってくれた人もそうよ。

グレブ:そういえば、さっきランチが150ルーブルで食べられるって言ったよね。もちろんそういうのもあるけど、でもそれって例外だと思うよ。

編集部:笑

ベラ:私はおしゃれな男の人と150ルーブルのランチに囲まれたい。笑 まぁ、モスクワもペテルブルグも他の地域よりそういうのは多いよね。

編集部:日本にはおしゃれな男の子たくさんいるよ、ベラ!笑

グレブ:日本にいけたらベラも幸せだ!笑

ベラ:150ルーブルのランチはある? ランチなかったら行かない。笑

編集部:たぶん、140ルーブルくらいの昼食あるよ……

ベラ:トランクの用意するわ。笑

後半に続く

 

 

アレクサンドル・モロゾフ「保守的な革命、クリミアの意味」(記事翻訳)

保守的な革命、クリミアの意味:アレクサンドル・モロゾフが語る、クリミアの併合が我々に呈示した新しいプーチンについて。彼はもうまったく《ペレーヴィン》ではないことについて。

文:アレクサンドル・モロゾフ

[『チェマダン』編集部より]

インターネットのリベラルなオピニオン・サイトCOLTA.RU上に、2014年3月17日に掲載されたアレクサンドル・モロゾフの記事の翻訳をお届けする。モロゾフは、ジャーナリスト、政治学者で、同じく社会・政治時評を扱うインターネット・ジャーナル『ロシア雑誌』の編集長である。クリミア自治共和国をロシアへ編入する条約にプーチンが署名した前日の記事になるが、ロシア人ジャーナリストの一人がプーチンのクリミアへの対応をどう捉えているか、興味深い内容になっている。

© アレクサンドル・ペトロシャン/コメルサント

1.

ウクライナ危機は完全に新たなフェーズへと移った。クリミアの住民投票が行われたのだ。今、必要なのは、我々がどういう空間に位置しているかを理解することだ。まず第一に言わなければならないのは、これは戦争であって、商売ではないということだ。ロシアでは最近まで《インタレスト・ポリティクス》の精神による解釈を見ることができた。つまり、プーチンは、賭け金をつり上げることで、《交渉を有利に進られる立場》をとって先々に何か特典を得られるようにする、というわけだ。クレムリンが住民投票を盾に脅しつつ、実際にはそれを行わなかったならば、確かにそうだっただろう。プーチンがこの住民投票に基づいてクリミアをロシア連邦に編入するか否かということは、現在ではすでに意味をもっていない[この記事が公表された時点では、まだプーチンは、ロシアへのクリミアの編入を宣言していない—『チェマダン』編集部註]。明らかなのは、プーチンの古くからのパートナーたち、すなわち、諸国のリーダーたちからすれば、そのレトリックと政治的決定によってクレムリンは2月25日と3月16日の間で、完全に《囲いの外へ》出たことになる。

現在進行中のこのことについては、三つの解釈がロシアのメディアやサイトで広がっている。

一つ目は、ウクライナ危機への激しい干渉は、最初からクリミアを掠奪する目的があったというものだ。これは《コソボのリベンジ》である。この解釈が前提としているのは、クリミアを奪ってプーチンはそれで満足するだろう、というのは、プーチンからすれば、90年代末に踏みにじられた敬意のバランスのようなものを取り戻すことができるからだ、というものだ。プーチンの踏み出したこの一歩は、最終的には《シンメトリックな応答》と認められ、日常はそのまま先へと進み、世界の様々な中心地との協力関係のすべてはロシアに対して保持されるだろう。そして、協力関係の水準は危機が起こる以前にまで戻るだろう・・・。こうした解釈は、ヨーロッパやアメリカ、そして他の全世界と、冷たいか熱いかはさておき戦争を始める決定をプーチンが下したということを考慮していない。話はもっぱらリベンジの行為とstatus quo[対等なステータス]とについてだ。クレムリン的にいえば、クリミア掠奪の意味とは、オバマ自身が最近発言した、オバマへの親書にある文字通り次の言葉、「あらゆるものが価値をもっている」ということである。言い換えれば、ヴラジミル・プーチンはおそらく、自分が何か《新しいプロセス》を始めているのではなく、たんに《コソボの代償》を取りたてていると考えているのだ。

二つ目の解釈は、クレムリンの《ウクライナ戦略》が、すなわち西欧と新しい戦争を行うことを意識的に望んでいるのだ、ということをポイントに組立られている。クリミアはただのcasus belli[開戦の口実]というわけだ。目的とは、コソボの報復ではなく、破壊まではいかずとも、できあがっている世界の政治構造を修正しようとする意識である。つまり、第二次大戦の結果も、1991年の結果も、国際組織の役割や地位といったものも完全に再検討することだ。端的にいえば、新しいエポックをはじめるということだ。そうした精神で書かれたのが、クリミアの住民投票当日に出た、有名な外交政治の解説者フョードル・ルキヤノフの記事である。

三つ目の解釈を呈示したのはグレプ・パヴロフスキーだ。彼によれば、プーチンがウクライナ危機に参加したのは、自国の権力システムをかえるためのただの口実ということになる。クリミアの危機を利用して、プーチンはロシア国内で対応するための《先制革命》のような何かをはじめたのだ。パヴロフスキーが前提としているのは、その目的が、対立陣営の壊滅ではなく(そうでなくとも2013年にすでに対立陣営には圧力がかけられていた)、内部エリートの大規模な淘汰のようなものの下準備にあるということだ。この解釈において問題は、そのアクションでクリミアに動員された《紅衛兵》集団をプーチンが誰にけしかけようとしているのか、ということになる。想定されている《西欧との聖戦》の壁をぶつこの《衝撃波》は、いったいどこへ向けられねばならないのか? 誰がまさに《売国奴》や《国家の敵》となければならないのか?

パヴロフスキーが用いている《革命》という言葉は、古いマルクス主義的な意味ではなく、異なる意味である。革命とはまさに、《手続き上の民主主義》空間から抜け出ること、規則的な状態から抜け出ることである。そして不確定な状況を生みだすことである。思い出すべきは、1930年代のヨーロッパにおいて多くのリーダーたちが《プランなく絶え間ない革命》を行ってきたことだ。忘れてならないのは、ヒトラー主義とはまさにその最後の段階で《あらゆる問題の最終解決》のための具体的なプランを持っていたということである。それ以前の長く続いた段階においてそれはまさに、絶え間ない緊張状態と戯れる、危険な遊戯であった。この遊戯の結末を明確に思い描くことなく、不確定な状況に対してイニシアティブをとる権利を簒奪する、そういう危険な遊戯である。

現在のプーチンには、いかなる《新しい世界設計》のプランもないことははっきりしている。そのプランはくっきり描き出されるかもしれないし、そうでないかもしれない。それは、革命そのものの動きに則るだろう。クリミアは、まさに明瞭な最初の証明である−−あらゆることが可能なのだ。

例えば、クレムリンは軍隊をバルト三国との国境付近へと動かし、そこからNATOの部隊の撤退を要求することができるだろうか? あるいは、クレムリンはルシン人たちをロシアへ組み込むための運動を興すことができるだろうか? 現在、あらゆるこうした一歩を押さえるものは何もない。その一歩は、通常の政治的合理性ではなく、革命的合理性によって定められているのである。ブーツを塹壕に突っ込む覚悟があれば、その後から扉全体を押し返そうとしてみてもよいだろう。

 2.

クレムリンは迅速に、ウクライナ危機に加わってからの数週間の間に、決定的に、そしてもはや公式のものとして1991年のことを解釈し直した。今では、1991年はもう《民主主義的な革命》ではないし、共産主義からの解放でもなく、ロシアが自由な世界へと抜け出したということでもない。それはもっぱら《地政学的な敗北》とされている。そのあとに続くのは、リベンジだろう。

言い換えれば、《不確定な状況》の創造に伴う、プランではなく、目的である。そしてその目的が、リベンジなのだ。

以前、2012年までの期間は全体にわたって、プーチンの政治路線は二つの概念を通して記述されてきた。それは《資本主義化》と《主権[最高権力]》である。これは完全に伝統的な政治論理であり、西欧にとってもわかりやすいものだ。ロシアは資本主義化されきっていない。だから、クレムリンは資本主義化を行って、自国の企業も、自国の経済全体も、さまざまなグローバルな指標に則った世界経済という文脈へと組み込んだ。たとえば、[天然ガスのパイプラインである]ノルド・ストリームもサウス・ストリームも発展させている。そして、伝統的なポリティクスをその主権の中で行っているのだ、と。

しかし、《クリミア》は、クレムリンが別のポリティクスへと完全に移っていることを示している。現在、クレムリンは資本主義化を犠牲にし、制裁のもとで進み、原料に関する協力関係の回路を断絶し、口座凍結のリスクを負う覚悟ができている。同じようにクリミアは、古い、つまりは保守的な《主権》というコンセプトの拒絶をも意味している。《主権》というコンセプトは革命時のそれへと変えられているのだ。正確にいえば、資本主義化と主権とが、未決定の未来の状況を生みだすこととリベンジのポリティクスへと交換されているのである。

リベンジは、通常の政治的ディスクールの力で満たされはしない。リベンジには別の合理性がある。それは政治的神話に依拠している。利益、商売、為替、協力、機構、伝統的な《インタレスト・ポリティクス》といった概念、つまり、概してrealpolitik[リアルポリティクス]のディスクールがその場所を明け渡すのは、リスク、ヒロイズム、英雄化された自死、そして、この《革命》の理念的な擁護者の一人、M. レーミゾフが書いているような、《宿命》である。あらゆる犠牲や最終的な破滅をもってしても、それが不条理であることを、こうしたポリティクスをもった指導者たちに対して説き伏せることはできない。反対にいえば、《ロシアとは、プロジェクトではなく、運命なのだ》(V. プーチン)ならば、運命は受け入れなければならないのだ、防空壕の中で自決することに直面していたときでさえ。戦争反対者たちはここ数日モスクワで集会を行っている。その中で行われている試みは、政治的神話に対して合理的な反論を提起しようというものだ。広がっている反論の一つはこうだ。《あなた方の子どもたちが戦争に動員されてもいいのですか?》。この論証がいかなる作用も持っていないことを我々は見ている。政治的神話の感染者たちは、成功以外に未来に対する他のいかなる選択肢も見てはいない。つまり、《クリミアは我々のものだ!》。

3.

ゼロ年代、クレムリンはロシア連邦のためのアイデンティティを定義した。それは《地域大国》である(バリアントとしては《エネルギー大国》もある)。このことは全てのパートナー諸国にとってわかりやすい宣言であった。2012年3月以降、クレムリンは保守的でモラル的なレトリックを展開しはじめ、何か《保守的なコミンテルン》のようなものを創り出す方針を採ったかのような印象が生まれた。つまり、伝統的な価値を支持する人たちの思い描くリーダーとして、プーチンのイメージを世界規模で固定することに資金を使おうとしているような印象だ。これは、《メディア戦略》として受けとられていた。つまり、政治的ポストモダンの一要素としてだ。レトリックとイメージ・システムを政治活動と結びつけずに展開することである。レトリックと政治活動は決して歯車で連動しているわけではないように思われた。レトリックはイメージに作用し、リアルポリティクスはグローバルな安全保障の規範と協力の枠組み内部で継続されていくだろう、と。

しかし、そこで、我々が間違っていたことがわかったのだ。《反マグニツキー法》(2012年12月)からクリミアの掠奪(2014年3月)までのおよそ一年の間に、急激な変化が起こったのだ。これはすでにポストモダンではない。現実的な衝突である。レトリックの歯車が現実と噛み合って、そしてクリミアが起こったのである。

4.

今後、多くの人はかつてを回顧して、プーチンは《最初の日からそうだった》のであり、あらゆることは1999年の高層アパート連続爆破事件から明らかである(そういう解釈のし直しも、今後、妥当なものとなるだろう)と言うだろうが、しかし、にもかかわらず、2014年の2月終わりから3月始めにかけて我々は、この生まれ変わりのプロセスの証人(と人質)になったのだと私は思う。プーチンは、たんに高い賭け金の賭博師になったのではなく、以前とは異なる、別の政治家に変貌したのである。それは《永久革命家》であって、あらゆる資源を不確定的な状況、予測不可能な状況を生みだすことに投げ出す革命家なのだ。同時に我々は、生まれ変わったロシア社会の証人でもある。その社会はソ連崩壊後25年も持たなかった。旧ソ連の他の諸民族との違いは、ロシア社会は《熱くなりすぎて》、新しい世界で自己自身の整備を処理することができなかったのだ。我々は、《クリミア奪取》の際の、この社会の大部分にうまれた素朴な喜びの証言者である。ちょうどクレムリンがルサンチマンとリベンジ主義を支えに戯れはじめてすぐ、明らかになったのは、大部分の教養がある階級、すなわちmiddle class[ミドル・クラス]の人々は、十分に高いレベルの生活を持っていながらもリベンジの欲望に打ち負かされたということである。未成年の狂信者がもつような本能的なリベンジの欲望に。

政治的空間そのものも生まれ変わった。2012年までロシアにいたのは左翼、右翼、そして中心であった。その中心とはかたちのないものであり、《統一ロシア》からの官僚たち、《職業的自由主義者たち》(たとえばクドリン)、《職業的保守主義者たち》(たとえばヤクーニン)、《職業的社会主義者たち》(たとえばミローノフ)といった人々の混合で成立していたが、2012年の抗議への応酬としてプーチンは政治的な中心の配置を完全に破壊した。この自由になった空間へ流れ込むのが《ミズーリナ[=反同性愛法]》だ。このことに一致するのが、マスコミシステム全体の変貌である。大雑把にいえば、現在、政治情報の中心は、古い『コメルサント』ではなく、新しい『イズヴェスチヤ』だ。現在の《政治情報の中心》は、クリミア掠奪のみならず、ほどほどの専制君主からまったく新しい人物像へと生まれ変わったプーチンをも、満場一致で支持しているのである。現在のロシア連邦の元首は《保守的な革命家》である。それはリベンジ主義の賭博師であり、ロシア連邦のもつあらゆる古いステータスを、20世紀の結果として出来上がった世界の構造全体へ揺さぶりをかけるために、犠牲にする覚悟があるのだ。現在、ロシア政治の中心には、責任能力のある人物はもういない。中心を満たしているのは世界的な《保守的な革命》の支持者である。この新しい中心のリーダーとなるのは、ジャーナリストのD. キセリョフ、作家のE. リモーノフだ。古い中心の残滓は急いで吠えたてるだろう。「ああ、ひどいもんだ!」−−議会の派閥の古いリーダーたち(S. ミローノフ)、あるいは以前はまったく害のなかった文化人たちがしているように。こうした文化的、政治的なエスタブリッシュメントは、すでに明らかなように、奈落に身を投げようとしている。危うい歴史的状況の創造に加担しようとしているのだ。

フョードル・ルキヤノフはその記事の中で次のような考えに我々を誘おうとしている。すなわち、プーチンは《ゴルバチョフを行うこと》を決定したのだが、それはつまり、1989年に戻り、東西陣営の世界の崩壊という状況をもう一度仕切り直すことを決めたのだ、と。だが、そうではない。プーチンが仮に、すべての世界の賭博者たちと政治的相互関係にある中で関税同盟やユーラシア同盟を生みだす努力を続けていたならば、そうだろう。例えば、彼がゼロ年代にノルド・ストリームやサウス・ストリームを掘りながら、交渉の中でパートナーとしての隣人たちへ、それらが合理的な《ロシアの利害》というコンテクストで受けとられるべきことだと示したようなかたちの政治的相互関係の中でだ。だが、クリミア併合が示すのは、これがまったく《ゴルバチョフを行うこと》ではないということだ。これは《ヒトラー=スターリン》を行うことなのだ。それは1930年代の力のポリティクスを行うことである。そして理解すべきは、これはすでに《ペレーヴィン》[邦訳も多数ある、いわゆるポストモダン系のロシアでも人気の現代作家−−『チェマダン』編集部註]ではないということ、すなわち、ポストモダニストのレトリックによるポリティクスではないということだ。ポストモダンのポリティクスは、笑いを刺激し、笑いを引き起こし、笑劇の印象を生みだすのだが、そのとき、現実の変化や支払わなくてはならない代価とは無関係なのだ。

左翼的か右翼的かはさておき、革命には高い代償を払わなければならない。《保守的な革命》は高くつく。この対価を支払わざるを得ないのは、プーチンが具体的にアメリカ大統領やドイツ首相と仲違いしたからでは全くない。たんに無分別そのものが高くつくからである。それはとても高い代価を孕んでいる。それを支払うのは、あらゆる階層、すべての家族たちである。《保守的な革命》の到来を喜んだ人も、それに反対した人も。

オリジナル・ソース:http://www.colta.ru/articles/society/2477

「私たちは、軍隊ではない。」:ウクライナ《右派セクター》リーダーへのインタビュー(翻訳記事)

«Мы — не вооруженные силы»「私たちは、軍隊ではない。」
:ウクライナ《右派セクター》リーダーへのインタビュー
〜ロシアのニュースサイトLenta.ruのインタビュー記事の翻訳〜
 

[『チェマダン』編集部より]
マスコミでも報道されているように、ウクライナ南部クリミア自治共和国で3月17日に、ロシアへの編入の是非を問う住民投票が実施された。同共和国選挙管理委員会によれば、投票率82.7%、開票率75%の段階で、ロシアへの編入に賛成票を投じた人の割合は95.7%に至っている。95.7%という数字の異常な高さは除くとして、この住民投票によってロシアへの編入が承認されること自体は結果を見るまでもないことだった。今後、ますますクリミア自治共和国を巡って、クリミア自治共和国、ウクライナ、ロシア、そして関係諸国は、その緊張を高めていくことだろう。

現在進行形のウクライナの混乱は、ヤヌコヴィチ政権が打ち倒され、新たな暫定政権が成立したことによる。その一連の流れを追うことは我々の手に余るが、以下のインタビューのために、少しだけ補助線をひいておこう。
一連の事件の発端となったキエフでの反政府市民運動は、昨年の11月からはじまっている。ヤヌコヴィチ大統領(当時)がEUとの関係を強化する法案を成立直前で反故にしたことに端を発したこの大規模な市民デモは、独立広場で展開され、きわめて長期間にわたった。その間、1月19日にはデモ隊と治安部隊の間で大きな衝突があり、欧米メディアからの批判・EU首脳陣からの説得もあり、ヤヌコヴィチ政権もこのデモでも中心的な役割を担っていた主要野党の指導者らと妥協点を探ろうとしていたが、落としどころは見つからなかった。

出口が見つからぬ膠着状態の中でプレゼンスを増してきたのがウクライナのナショナリストたちのグループであり、そうしたナショナリストたちの連合団体として、このインタビューでとりあげられている《右派セクター》がある(ちなみに日本では他に、《極右セクター》、《ライトセクター》といった訳語が用いられている)。2月19日から21日にかけて多くの死者をだした治安部隊とデモ隊との激しい衝突は、こうした状況下で起こったことである(このときの模様が日本のマスコミでは大々的にとりあげられていた)。当時のキエフの惨状を写真や映像で目にした人ならわかるように、たとえば、火力の面で、治安部隊がデモ隊を一方的に鎮圧できるならば、ああした状況が生まれるはずはない。

プーチンが現在の暫定政権の正当性を認めない論拠の一つは、正当な手続きを踏まずにクーデターによって政権がかわったことにある。しかも、プーチンは、暫定政権がこうした過激派の活躍によって成立した政権であり、政権内部にこうした過激派が影響を及ぼしているとして批判の矛先を向けている。もっとも、これは例のアメリカ国務省が発表した「プーチン大統領の10のフィクション」の10番目に挙げられて批判されている見解ではある。しかし、一方で、ある種のリアリティを獲得しているのも確かである。

そうした観点から、『チェマダン』編集部では、ロシアのニュース・メディアLenta.ruが行った《右派セクター》の幹部の一人へのインタビューを翻訳してお届けすることにした。こうしたウクライナのナショナリストたちの見解(の一つ)を、日本語で知ることはなかなか難しいからだ。

さらにもう一点、この記事を翻訳したのには理由がある。このインタビュー記事が公開されたのが3月10日、そしてその二日後の3月12日に、このニュースサイトLenta.ruの編集長は突然更迭されてしまった。実際の判断がどのようなものだったかは不明であるが、この記事が民族的な対立を煽るものと認識されたことが原因と言われてもいる。この更迭に対し、内部の編集者など全体のおよそ80%にあたる40人が辞表を提出し、抗議の意を示すという事態に発展した。この記事はそうした種類のものでもある。

ウクライナやクリミアの一連の動乱に関しては、現状では、あらゆる切り口からあらゆる物語を紡ぐことが可能であり、無論、編集部としても、特定の政治的立場にコミットするわけではないことは念のために記しておく。

写真: ダーコ・バンディク/AP

[Lenta.ru編集部による解説文]
戦闘的な運動におけるナショナリストたち《右派セクター》は、ほとんどウクライナ革命の主役のように思われている。
ウクライナ東部の住民たちは彼らを恐れ、ロシア国営放送は彼らをネオナチのように報じている。3月はじめにロシア連邦予審委員会は、《右派セクター》の指導者ドミトリー・ヤロシ氏をテロ行為煽動の罪で刑事告訴し、彼は国際指名手配された。
それにもかかわらず、去る土曜にヤロシ氏はウクライナ大統領選挙への立候補を表明した。彼の代理人の一人であり、《右派セクター》キエフ支部のリーダーでもあるアンドレイ・タラセンコは«Lenta.ru»に対し、ウクライナ的ナショナリズムとは何か、何故活動が政治に関わり、軍事介入の際にはロシア軍とどのように戦うつもりかを語った。

《右派セクター》の活動家の大部分のように、タラセンコ氏は、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の国外逃亡後に政権復帰したヴィクトル・ユシチェンコ時代の政治家たちを断固として信じていない。
まさにそれゆえ《右派セクター》は政党であろうとしており、リーダーのドミトリー・ヤロシ氏を大統領に選びだそうとしている。にもかかわらず、ウクライナのナショナリスト達はまだ政権に入ろうとはしていない。独立広場での勝利後、《右派セクター》は入閣を提案されたが、彼らは広場に留まることを選んだ。

タラセンコの言葉によれば、「皆が信じうるような統一的な教会やエリート」が存在しないウクライナにとって、統一された唯一の思想となりうるのはナショナリズムである。
彼は、クリミアは元来ウクライナの土地であり、タタール人にとっても「故郷になった」が、ロシア人にとってはそうではないと考えている。
ウクライナからの独立を望む少数のロシア人に対し、タラセンコ氏はある忠告をしている――「ロシアに去るべきだ」と。
同時に、《右派セクター》のキエフ支部のリーダーは、彼の同志が「民族や政党の範疇で人々を分けているのではなく」、「彼らの行動に基づいて」判断していると述べている。
彼らは、ウクライナのナショナリズムを擁護するならば、いかなる民族の市民とも和解する心構えがある。ただ、彼らが敵意を覚えるのは「ウクライナは存在せず、ウクライナ人も、ウクライナ語も存在しない」と語る人々に対してである。
ウクライナとロシアの公然たる軍事衝突の場合、タラセンコ氏は「大規模なゲリラ戦」となることを見込んでいる。
しかし現在のところ、武力行動は、クリミアも含め、《右派セクター》は避けている――タラセンコ氏は、クレムリンが武力を行使する為の挑発を待っていると考えている。

[インタビュー]
Lenta.ru(以下L): 《右派セクター》は何故、政治に介入し、政党を結成しているのでしょうか?
アンドレイ・タラセンコ(以下、AT):私たちは常に、いかなる政党も問題を解決しないと述べてきました。いかなる体制も壊すことができるのは、また別の体制だけです。私たちは政治に介入していますが、これは我々がすっかり政党になることを意味しません。政党にもなる、というだけです。相互制御のような状態が生じ、私はそれがそのままダメにならないように望んでいます。

アンドレイ・タラセンコ
写真: ヴァレンチン・オギレンコ/ukrafoto

L:何故《右派セクター》の指導者ドミトリー・ヤロシ氏は大統領選に立候補したのでしょうか? 彼が選出されないことは明らかだと思うのですが。
AT:彼が失敗すると誰がいいましたか? まあ見てみましょう。
L:ヤロシ氏はより穏健派な右派の政治家たちから票を奪うので、それを受けて地域党暫定代表のセルゲイ・チギプコ氏(前副首相、ウクライナ南東部出身の大統領候補と予想される一人—Lenta.ru註)が躍進することになるでしょう。
AT:それは現実的ではありません。独立広場で起こったことは、国や政権だけでなく、国民全体を変えました。独立広場にいる人々は、自分たちの指導者たちがなにか正しくないことを言ったとき、彼らをやじります。既に多くの人々が口にしており、いまとなってはチギプコ派の人々が勝利を得ることは全く現実的ではないでしょう。
L:《右派セクター》は現在、政権内で起こっていることとどう関わっていますか? そこには第三代ウクライナ大統領であったヴィクトル・ユシチェンコ時代の政治家たちがいますが。
AT:ウクライナ全国民とまったく同じように満足していません。まさにそれゆえ、我々が政治に介入しようとしているのです。まさにそれゆえ、人々は我々に政治への参加を要請し、「あなたたちが行動しない限り、この状態は今後も続いてしまう」と言っているのです。
L:3月1日に《右派セクター》は動員を呼びかけました。もし革命が終わっているのならば、何の為に更に人員が必要なのですか?
AT:戦争の可能性に関する問題です。もしロシア連邦軍がキエフへ進攻してきたら、私たちは祖国を防衛することになる。
L:あなた方はかなり激しくロシアのクリミア進攻に関して発言し、「友情の列車」という声明も出しました[クリミアが侵されるようなことがあったら義勇兵を結成して派遣するという声明を《右派セクター》は2月25日に出した—『チェマダン』編集部註]。なぜ、あなた方は結局クリミアに向かわなかったのですか?
AT:私たちは運動として、クリミアに行くと言ったのではありません。私たちの考えでは、クリミアで起こっていることは――「グルジアの筋書き」と全く同じです。ロシアは、クリミアに誰からかまわず引っぱりこもうと手を尽くしてきました――それは現地の軍隊、あるいは現地以外の軍隊、あるいは我々です。我々が奪還を始め、射撃を始めるようにです。あたかもかつてグルジア大統領のミヘイル・サアカシュヴィリやったように。それによって彼らの侵略を正当化できるところまで状況を持っていこうとしているのです。
なぜ、今、プーチン氏は負けつつあるのか? なぜ、全世界が、この侵略に反対しているのか? それは、彼の目論んだように物事が進んでいないからでしょう。もし彼が、現状におけるあらゆる根拠を欠いたまま行動し続ければ、これは解釈の余地なく彼の負けとなるでしょう。

2014年3月9日、セヴァストポリ付近でウクライナ軍部隊を遮断しているいわゆる「クリミア自警団」
写真: バズ・ラトナー/Reuters

L:もし、ロシア陸軍がドネツィクに進軍した場合、あなた方はそこへ行くことを計画していますか?
AT:我々は、軍隊ではありません。我々は、空から掩護された軍部隊に抵抗することは出来ないのです。だから、二、三千人の軍隊に対抗して私たちが出て行くなんて言うのは滑稽です。私たちは防衛策を練っていますし、もちろん、全力で敵を抑えます。
L:キエフにいる私の知人達が冗談で言っているような、ゲリラ戦を展開するという意図は無いのですか?
AT:それは冗談ではありません。ウクライナ人にはゲリラ戦を行ったという大きな経験があります。ウクライナ人は素晴らしい軍人であり、彼らの戦闘能力は世界に名高い。ウクライナ蜂起軍(UPA)は何年もの間、外国からの支援がまったくないまま戦ってきました。UPAのゲリラ戦の戦術は、アメリカのウェストポイント(アメリカ陸軍士官学校—Lenta.ru註)で教えられています。
ヤヌコヴィッチ打倒以前は、もし独立広場において武力的掃討が行われたり、平和的な人々に射撃がなされたりする場合、ゲリラ戦がはじまると我々は言ってきました。もし、ヤヌコヴィッチが逃亡していなかったら、そうなっていたかもしれません。仮にウクライナ軍が撃滅されたら、大規模なゲリラ戦が始まるでしょう。ウクライナは――小さなグルジアではありません。そこがロシアにとっては遥かにややこしい点でしょう。

ウクライナ蜂起軍、カルパチア山脈にて

L:しかし、今現在、クリミアでゲリラ戦を展開する必要は無いのですか?
AT:(答えるかわりにうなずく)
L:なぜ、ウクライナのナショナリスト達にとって、クリミアはそれほど重要なのでしょう? ここはかつてのロシア領なのですが……
AT:何の根拠があって? 面白いことをいいますね。
L:もしくはタタールの土地とも言えます。しかし、どちらにせよリヴィウではない。
AT:クリミアは――ウクライナの土地です。それはクリミア・タタールの民族が存在する前、そして当然モスクワが存在する前からです。クリミアの土地だの、ロシアの土地だのと言うことは――ただ馬鹿馬鹿しいことです。クリミアは、太古からウクライナの土地です。あの土地で、クリミア・タタール人が民族として形成されたことは、単にクリミアが彼らの生まれた土地でもあることを示しているにすぎません。このようにして、私たちの領土の一部が彼らの故郷になったのです。このことに関して、他の見方はないでしょう。
L:何故、あなた方の戦闘員は、今日まで、クリミアで警棒とナイフを携帯しているのですか? 威嚇の目的でしょうか?
AT:誰に対する威嚇ですか?
L:私は知りません。
AT:私たちは誰のことも威嚇していません。

ドミトリー・ヤロシ
写真:ユーリー・キルニチニー/AFP

L:でもうろついてますよね。
AT:それはあくまでも警備と自衛が目的です。ヤロシ氏に関する裁判は始まっているし、我々は彼を抹消するために特殊部隊が送られたという情報もつかんでいます。これまでに彼と私を抹殺するというウクライナ治安部隊の命令がありました。
L:《右派セクター》は先日、独立広場で警察に対して武器を使用したことを認めましたね。
AT:我々は決して射撃してはいません。独立広場でも、その外部でも。
L:しかし武器は持っていたんですね?
AT:我々がそうした状態になったのは時期的にはとても遅く、革命がまさに戦闘行為に達したときでした。我々は、許可をとって武器を個人所有している人々に向けて、独立広場に集まるように呼びかけました。問題は人々に対して大量射撃が行われるだろうということだったので、我々は自衛することを許可したんです。
L:あなたは射撃しなかった、と? じゃあ、誰か他の人が射撃しましたか?
AT:我々は射撃していない。確かです。
L:もしあなたが《右派セクター》は武器を使用していないというのならば、じゃあどのようにして蜂起の最後の日に警察に勝つことができ、彼らを追い払うことができたのですか?
AT:わからない。彼らはおびえたのかもしれないし、彼らには退却命令が出たのかもしれない。おそらく、彼らがちょうど退却をしはじめたが故に、人々が前へと突進していったのだと思います。隊列を組んだ銃撃戦ではなく、ばらばらに人々が動き、ばらばらに警官が逃走したのですから。

2014年2月20日、キエフの大学通りでスナイパーの射撃に狙われているデモ隊
写真:セルゲイ・スピンスキー/AFP

L:《召された百人》(独立広場で亡くなった活動家たち—Lenta.ru註)に《右派セクター》の人間は一人もいなかったと言われています。これは本当ですか?
AT:それは本当ではない。死んだ者もいましたが、多数ではありませんでした。その理由は、我々は常にトレーニングし、どのように行動し、動き、退却し、前進するか、我々の仲間の動きを計画的に練っているからです。我々の仲間は部隊では整然と行動し、的確に司令官の命令を守り、けが人を見捨てることはしない。
AT:実際に人々はばらばらに前へと飛び出し、彼らに対する銃撃が始まったから多くの人々が死んだ。協議なく実行に移されたのです。我々はそれには加わっていません。2月18日に行われた排除に対して我々の小部隊がグルシェフスキー通りで活動していたとき、自衛部隊は政府機関地区にいたんです。
自衛部隊はそこで撃破され、グルシェフスキー通りの小部隊はヨーロッパ広場に築かれていたバリケードまで退却し、完全にそこを守っていました。そこでは装甲車が焼かれており、我々は全く戻ることができなくなったのです。大学通りにいたのは、部隊として組織されていない、本能的に行動したふつうの市民たちでした。警官が防御を突破して我々の仲間たちの背後にやってきたとき、我々はこのバリケードからは離れることを余儀なくされました。
L:最後の日にあたる2月21日の大学通りでの狙撃では、人々が木製の盾を手にスナイパーの方に向かい、亡くなりました…
AT:我々は脆弱な枝ではない。我々の仲間は命令を遂行するのです。だから我々の仲間は「さあ、素晴らしい、進め!」と思って突撃して死ぬことはない。だから私たちには死者が少ないです。しかし、一番最初に亡くなったうちの一人、ベラルーシ人のミハイル・ジズネフスキーは我々の仲間でした。
あるいは、ハリコフ地方行政府での騒乱の折に、独立広場で戦った者たちが追い出されたとき、我々の仲間二人が死んでいます(3月1日の事件についての話—Lenta.ru 註)。ただ我々はこれについてPRをすることはなく、目に涙を浮かべてそこで我々の仲間が何人死んだことかと叫ぶために表舞台に出るようなことをしなかっただけです。これは、PRのネタなどではないし、そんなPRは異常なことですよ。

2014年3月1日、ハリコフ行政府の建物掌握後のロシア派の活動家たち
写真:セルゲイ・ボボク/AFP

L:《右派セクター》は浄化[国家保安機関の旧職員やその協力者の開示およびその責任追及を行うこと−−『チェマダン』編集部註]に積極的に進出していますが、私の見ている限りでは成功していません。残念ではないですか?
AT:我々の法律家たちは現在、浄化と武器に関する法律について取り組んでいます。我々は、市民は武装しなければなないと考えています。スイスのように。スイスは小さな軍を持った中立国ですが、必要な時は全ての国民が軍になることができます。私は、これは全く正しいと思っています。
L:《右派セクター》は内務省の重要なポストを提供され、ヤロシ氏を国家安全保障・国防会議の評議会のリーダー代理に抜擢されるという話がありましたが、あなた方は結局そうしたくなかったのか、あるいは何が望みなのでしょうか?
AT:我々は、何の影響力もなく何も決定できないポストを提案されました。もし幹部たちの政治を管理することができるならば、我々は何らかのポストをやってもいいと話しています。でも、そんなことは誰も望みはしないでしょう。今の、幹部たちの政治、内務省や他の省庁を見てみなさい。これに憤慨して人々は、独立広場での犠牲者たちがこんなことのために亡くなったのではないと言っています。

《召された百人》
イラスト:ユーリー・ジュラヴェリ

L:ヤロシ氏は《右派セクター》におけるロシア嫌悪を積極的に否定していますが…
AT:いったいどこから我々がロシア嫌悪であるということを聞いたんですか? 我々には概していかなる嫌悪もまったくありません。我々はウクライナのナショナリストです。つまり、我々は自分の国家を愛していて、国家のために何かを行うということです。我々はあらゆる他の民族を尊敬している。グローバルな世界においては、どのナショナリズムの目的も、民族国家という原則に則って世界を作ることです。どの民族も自分の政府を持つべきじゃないですか? したがって、ウクライナのナショナリズムにはショービニズムもファシズムもないのです。これはまったく異なる問題です。
L:しかし《右派セクター》のそれぞれの活動家たちの中にはショービニズムが広まっていて、ナチズムも同様に広まっています。《ユダヤ人とモスカル[ウクライナ人、ベラルーシ人、ポーランド人のロシア人兵士に対する別称−−『チェマダン』編集部註]》や、かぎ十字に関する冗談も少なくはない。ナショナリストは常に何らかの外敵を必要とします。ロシアではナショナリストたちは、たとえば北コーカサスや中央アジアからの移住者に対して敵対しています。
AT:我々の仲間は実に様々です。ウルトラ・ナショナリストからウルトラ・リベラルまでいる。しかし、民族的理念がすべての人々を結びつけている。これはウクライナを統合しうる唯一のものであり、我々にはこれ以外のものはないんだ。我々には統一された教会はないし、軍隊は疲弊しており、全ての人々が信頼できるようなエリートの政治家もいない。
しかしそれにもかかわらず、我々はなんらかの国に対して憎しみは持っていません。ウクライナ人でないあらゆる民族への態度に関して、我々には、ステパン・バンデーラによる明確な定義があります。我々と共に戦う者に対しては義兄弟のように接する。何もしないが、我々を理解し、支持する者に対しては絶対的に中立で寛容な態度をとる。そして、ウクライナは存在せず、ウクライナ人やウクライナ語は存在していないと語る者に対しては敵対的な態度をとる。
その人間がどの民族かは重要ではありません。我々は民族や党の区別によって思考したことは決してないし、我々は常に人間をその行動によって区別します。したがって我々がロシアについて語るとき、我々はロシア人やロシア政府について言っているのではなく、クレムリンの帝国主義的な政治を指導している者のことを言っているのです。

2014年1月19日、グルシェフスキー通りでの警察との衝突に加わった者の盾には《14/88》と書かれていた[88は「ハイル・ヒトラー」の隠語であり、14は「白人至上主義」を意味し、しばしば両者は民族主義者によって組み合わせて用いられる−−『チェマダン』編集部註]
写真:セルゲイ・スプニスキー/AFP

L:この間あなた方の《フ・コンタクチェ[ロシア最大のSNS−−『チェマダン』編集部註]》のグループにおいてヤロシ氏のアカウントからチェチェンの戦闘員のリーダー、ドク・ウマロフへ、ウクライナ支持を訴える呼びかけがありました。その後、あなた方はサイトがハッキングされたと言っていますが、そこにはかなり好意的にチェチェンの戦闘員を評価する2008年のヤロシ氏へのインタビューがあります。
AT:これもまたナショナリズム・イデオロギーに由来しているものです。我々はそれぞれの民族は固有の自民族の政府を持つべきであると言っています。そしてこれは、帝国主義のくびきの下にいる全ての民族に関わることです。したがって我々は、どの民族であろうといつも自らの独立を求める戦いを支持してきたし、これからも支持するでしょう。チェチェン人もまた一つの民族です。
我々はまた何百年も独立のために闘ったが、決してテロリズムや一般市民を攻撃する活動を支持したことはありません。ウクライナ民族主義者組織の歴史を見てみれば、そこには住民を殺すテロリスト的行為は決してありませんでした。
L:その意味ではあなたは、ウクライナから分離を望むドネツクのロシア人たちを支持しなければならないのでは。
AT:あなたは考えを取り違えています。わたしは民族について話しているのです。あなたはドネツクに束の間の間いるロシア人たちについて話しているわけです。
L:しかし彼らはそこにいます。
AT:もし彼らがロシア民族であれば、彼らにはロシア連邦という本国があります。いったいどんな問題があるというのですか? ここは何世紀もの大昔からウクライナ人が住むウクライナの土地です。違いがわかりますか?
L:つまりロシア人は単にロシアに帰るべきだと?
AT:もし彼らがウクライナを気に入らないのだったら、どんな問題があるというのか?
L:ロシア語の使用を制限する何らかの必要はあるのですか?
AT:それは、どこかで何らかの形でロシア語が迫害されるという、例のいつもの帝国主義的な神話ですよ。私自身はスヒドニャク(ウクライナ東部からの移住者—Lenta.ru註)です。私は人生の半分はロシア語で話していました。しかし今、私がどこか東部でウクライナ語で話せば、私は迫害される。
L:しかしあなた自身はロシア語で話すのを拒否しますね。なぜですか。
AT:なぜならば、私はウクライナのナショナリストだからです。あなたは私の言うことを理解するからです。
L:ほんとうでしょうか?
AT:私がモスクワのあなたの元にやってきて、あなたにインタビューをして、ウクライナ語でしゃべるようお願いすることを想像してみてください。あなたはウクライナ語でしゃべるでしょうか?
L:私はウクライナ語を知らないですから。
AT:私だってもうロシア語はわかりません、すでに忘れています。

2014年3月9日、ドネツクのレーニン像でロシアを支持するデモの人々
写真:コンスタンチン・チェルニチュキン/Reuters

L:ウクライナの雑誌『レポーター』は普通の戦闘員として二週間《右派セクター》の元で過ごした記者の記事を掲載しました。そこで彼は、《右派セクター》は街路で酔っ払いを探し、気に入らない奴は捕まえ、あるいはチトゥーシキして[政治目的で身体的暴力を加えること。スポーツ選手チトゥーシコの事件に由来する−−『チェマダン』編集部註]、トイレで厳しく尋問することを詳しく書いています。あなた方はこうした実際を何とかしようとしましたか?
AT:もちろん何とかしようとしました。そのようなことはつねに間近で起こっていました。そうした人たちが我々の元に連れてこられたが、我々は彼らをもとの所へ帰しました。みな若く、興奮して闘っていたんです。多くのものに対して彼らは敵を見出していました。我々はこれを何とかしようとしながら、特別なグループさえ作りました。彼らは《チトゥーシキ》を連れてきた連中と話し、掴まえた時の様子を明らかにし、片っ端から殴るようなことがないようにしました。次第に我々はこのようなことを克服しました。
L:《右派セクター》は、代表者のアレクサンドル・ムズィチコ(サーシコ・ビリーとして知られる)とは彼の卑劣な行動のために手を切りたいと思わないのですか?
AT:なぜ我々は彼と手を切らなければならないのですか? 彼は武器を持たずに検事を脅したのであり、ただ彼のネクタイを引っ張っていただけです。マスコミはいつも映像や言葉の一部を取り上げ、間違った大きさにまで誇張しています。
実際のところムズィチコはこの検事の命を救ったといえます。この検事はある人を釈放し、ある女性が殺された事件の審理を進めなかった。それで、その検事と共に検察庁を焼き払ってしまおうという、武装した市民が集まったのです。ムズィチコはこの争いを止める役を自ら買って出て、検事のもとに行きました。もしムズィチコが検事に花を持って行ったならば、人々は彼も検事も八つ裂きにしていたでしょう。でもそうでなかったから、このようにして争いは消えたのです。そして人々は満足し、検事は審理を再開しました。
L:あなた方は、ロシアのテレビの宣伝の影響下にある、ロシア人とロシア語を話すウクライナ人にとっての自分のイメージをただすことを考えていますか?あなた方はPRの仕事をしていますか?
AT:我々はあるがままです。我々は政治家ではない。我々は偽らないし、何も捏造しないし、嘘もつかない。まさにそのために市民は我々を支持してくれているし、それは、我々は正直だからだ。政治家は常に多くを語るが何も語っていない。我々はあまり語らないが行動によって語るのだ。賢い人間はそれがわかるだろうし、私は、アホな奴らのために何かするということには意味を見出していないのです。
L:国の半分の人は東部に住んでいますが、そこでは人々はあなた方をかなり否定的に見ています。あなた方は東部での何か特別な活動を予定していますか? もしそうならば、どのようにして?
AT:私はすでに数年間キエフに住んでいるものの、東部出身であり、ドミトリー・ヤロシ氏は生涯ずっと東部で生活しています。これに関しては何の問題もない。そのことはいつも吹聴され、東部で我々は誰からも愛されないということがいわれています。しかし問題は、我々がどんな人間かではなく、何を行い、どんな考えをもっているかです。ウクライナ中で人々はこの我々の考えを同じように受け止め、我々に電話し、手紙を書き、我々のもとにやってくる人々は、大部分が東ウクライナからの人々です。《右派セクター》の半分は東部出身のロシア語を話す人々であり、半分はウクライナ全土から来るウクライナ語を話す人々です。彼らは互いに結びつき、生活し、共に戦かっている。我々の元にはロシア語を話すロシア人もおり、ロシアからやってきてバリケードで我々と共に戦っているのです。

ウクライナ語通訳:オリガ・イワノワ
聞き手:イリヤ・アザル(キエフ)
オリジナル・ソース:http://lenta.ru/articles/2014/03/10/pravysektor/

クリミアの劇場事情

ロシアの演劇雑誌『チアトラール』で、クリミアにある3つの異なる劇場の指導者たちに電話インタビューが行われた。3つとは、ロシア系、ウクライナ系、タタール系だ。混乱が収まらないウクライナで、クリミアはキエフに続いて今後の動向の焦点となっている。ロシア系の住民が多いことは確かであるが、「人数が多い」こと以上の意味を持たせているのは、現在のところ政治的な立場に依るものでしかないように思える。複雑な歴史を持つクリミアの政治事情に詳しく踏み入ることは現時点では難しいが、今現在、クリミアの劇場がどのような状況に置かれているか、を情報として出しておきたいと考えた。もちろん、ロシア系、ウクライナ系、タタール系の人々の内部でもそれぞれの異なる考えがあるだろう。

しかし、民族的な対立を煽るような局面が展開するなかで、個々の演劇人たちの「印象」には、いろいろと思うことがある。それぞれの立場で現状の認識が異なっていることは見逃してはいけないだろう。「いま現在、現地でなにが起きているか、そしてその状況がどのように彼らの仕事に影響を与えているかを訊ねた」という『チアトラール』の記事をここに訳出して紹介する。

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クリミアの劇場:ある状況への様々な視点(Елена МИЛИЕНКО

ビリャル・ビリャロフ、クリミアタタール・音楽ドラマ劇場芸術監督

ビリャル・ビリャロフ、クリミアタタール・音楽ドラマ劇場芸術監督

街の状況は非常に緊迫している。5分後になにが起きるかわからない。タタール人たちは自宅から出ないようにしている。うかつな言葉で他の民族の人々と衝突したくないからだ。互いにテリトリーを略奪しあう動乱の時代が訪れたように思える。まさにそれゆえ、自警隊が組織されている。ロシアのマスコミが報じているものは、完全に嘘で、[キエフの]独立広場の写真を使って、それがクリミアで起きていると伝えている。ドミトリー・キセリョフ*の言葉を聞けば、ゲッベルスのプロパガンダも色褪せるだろう。我々は常にロシア人ともウクライナ人とも平和に生き、彼らと共に生きてきた。我々は皆、ロシア語という一つの言語で話し、相互に問題などなかった。現在、突如我々の身を守りに来た人々がいる。誰から身を守ろうというのか?

ロシア語を禁じようとする政治家の放った軽率な言葉を、切り札のごとく捉えることは、ある人々にとっては好都合だった。そして、その言葉は広がっている……。必要なのは、論理的になり、「誰が祖国の言葉で喋ることを禁止できるのか?」ということを考えることだった。キエフの独立広場で騒動が起きたときでさえ、クリミアではみな平穏だったのに、いまは本当にひどい状況だ。政府の建物は占拠され、至る所でロシアの旗が掲げられ、道には勲功章のない制服を着た武装した人々や装甲車が行き交っている。

それゆえ、私たちは全ての上演を中止し、俳優たちには家族を連れて当分の間街を離れるよう言った。劇場は生活と結びついており、我々は、外がこのような状況のときに、ここで歌ったり踊ったりはできない。劇場は自らの市民的な立場を維持するべきで、そうでなければ誰からも必要とはされない。

*プーチン大統領が国営ロシア通信を改組して作った国際通信社「今日のロシア」の社長


ヴァレリヤ・ミリエンコ、ゴーリキー記念クリミアアカデミー・ロシアドラマ劇場女優

ヴァレリヤ・ミリエンコ、ゴーリキー記念クリミアアカデミー・ロシアドラマ劇場女優

街の外はすべて以前通りです。閉鎖されていた中心部の道には車や路面電車が行き来し、人々は仕事に行っています。しかし、もちろんそれでいて、私たちはみなクリミアの運命について話しています。困ったことには、どこから情報を得るべきかが分からないのです。ニュース番組を見れば見るほど、ロシアのものも、ウクライナのものも、全てのチャンネルが現実を歪めていることをますます確認してしまう。みんなでっち上げているんです。

我々の劇場に関して言えば、通常通り動いており、客席も満席です。2月末の夕方の上演だけ、1000席の客席で50人の観客しかいませんでした。これは、ちょうどこのとき広場でタタール系住民の集会が開かれ、ロシア系住民に対して挑発を避けるため家を出ないよう警報が出たことと関係していました。ちなみに、親ロシア派の集会が開かれたときには、タタール系の人は同様にいませんでした。このように、互いに発言をするために場所を譲り合い、我々は衝突を避けようとしています。

クリミアは現在すべて平穏です。しかし、キエフではすでに国家総動員のアナウンスがなされています。しかし誰に対して彼らは力を動員しようとしているのでしょうか? 同じウクライナの住民に対してでしょうか? いろいろな国から私に電話がかかってきて、彼らはロシアに対してただ攻撃を浴びせています。一面では、私はウクライナ自身が自分たちの問題を解決することに賛同します。しかし他面では、独立広場のこと、そこで行われていることを見れば、沈静化のために別の権力を呼び寄せてしまうでしょう。今後どうなるかわかりませんが、クリミア、ウクライナ、ロシアの間で生じている状況が平和裏にできるだけ早く解決することを望みます。


ユーリー・フョードロフ、クリミアアカデミー・ウクライナ音楽劇場主任演出家

ユーリー・フョードロフ、クリミアアカデミー・ウクライナ音楽劇場主任演出家

劇場の状況は完全に通常通りだ。上演を行い、朝も夜も毎日稽古をしている。唯一上演を中止したのは、内閣庁舎と国会が占拠されたという情報が出た時だった。これらの建物を誰が占拠したのかは、まったくわからなかった。我々の劇場が内閣庁舎から100メートルしか違わないレーニン広場にある以上、我々は仕事に向かわないという決定を受け入れた。しかし、建物が安全な状態にあり、いかなる過激主義者も認められず、今後その可能性もないことが分かってから、我々は再び仕事に出た。劇場を満席にするとは言えない。というのも、交通機関の中断があったからだ。我々の劇場にはなにしろほかの街からも観客が訪れ、人々は上演後に自宅に戻れない事態を懸念しているからだ。現在街の中心部は解放されており、交通機関も動き、全ては以前通りだ。もちろん、広場でデモ行進が行われていることを除いてだが。しかし、集会を開いている人々のスローガンから理解できる限りでは、彼らはみな安定と秩序を訴えている。つまり、スローガンは、現実的で、建設的で、それ故に近いうちにすべてが落ち着くことを期待している。

http://www.teatral-online.ru/news/11122/ からの翻訳)

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ちなみに、本誌『チェマダン第三号』(http://chemodan.jp)に「クリミア・タタールの伝統=現代文化の一断面」という記事を掲載しています。クリミアの簡単な説明と、クリミア・タタール文化の一つである陶器についての記事です。
合わせて参照していただければ嬉しいです。

【世界初公開】メイエルホリド演出『査察官』音源

【世界初公開】メイエルホリド演出『査察官』音源

メイエルホリド演出のゴーゴリ作『査察官』*(1926年初演)の音源をお届けします。
2014年1月26日公開のChemodan本誌03号に掲載された「声と蝋」(ヴァレリー・ゾロトゥイヒン/Valery Zolotukhin)では、ロシア演劇の音源史が論じられています。今回ブログにアップした貴重な音源は、ロシア国立文学博物館収蔵の音源のひとつです。Chemodan編集部は、ゾロトゥイヒン氏の協力を得て、メイエルホリド劇場の伝説的な芝居『査察官』の一部をチェマダンブログで公開する許可を得ました。公の場では世界初の公開となるこの音源には、メイエルホリドの妻ジナイダ・ライフの声が録音されています。彼女の声は、唯一この音源にのみ残されています。
ライフが演じる市長夫人アンナ・アンドレエヴナと名優エラスト・ガーリン演じるフレスタコフのやりとりをお聞きください。
*これまで『検察官』と訳されていた作品

場面は『査察官』第三幕第六場、首都ペテルブルグからの査察官と勘違いされたフレスタコフ(ガーリン)のもとに、市長がその妻と娘を紹介しにやってくる。都会から来たフレスタコフに挨拶をする市長夫人アンナ・アンドレエヴナ(ライフ)。
メイエルホリドは芝居を演出する際、その戯曲、作品にまつわる様々な資料を丹念に調べ、それらを組み合わせて演出する傾向があった。この『査察官』も、戯曲の決定稿ただ一つを用いるのではなく、作者ゴーゴリの残した草稿を調べつつ、彼の他の作品からの引用も組み合わせて芝居全体のテキストを作り上げた。ここで録音されているのは、基本的に同じ場面。前半は『査察官』のゴーゴリの草稿から、後半は決定稿から採られたものだ。

https://soundcloud.com/chemodan-jp/revizor-meyerhold
(c)Государственный Литературный Музей (The State Literary Museum)


【音源のテキスト】
Да, признаюсь, как выехал, я заметил ощутительную перемену. Даже вам, может, несколько странно, — в воздухе этак в городах…Всё как-то говорит: „Да это не то“. Например, общества какого-нибудь, бала великолепного, где была бы музыка…
(ПЕРВАЯ ЧЕРНОВАЯ РЕДАКЦИЯ; <ЯВЛЕНИЕ 6-е, ДЕЙСТВИЕ III.>)
そうですとも、出発してすぐに、明らかな違いに気づいたことを認めざるを得んでしょうな。あなたももしかしたらそういった違和感を街には感じるでしょう……。何かこう、あらゆるものが「そうだ、これは違うものだ」と言っているような。例えばですよ、見当たらんのですよ社交界といったものが、壮麗な舞踏会が、そこでは鳴り響くんです音楽、そう音楽が……
(草稿第三幕第六場)


Хлестаков. Возле вас стоять уже есть счастие; впрочем, если вы так уже непременно хотите, я сяду. Как я счастлив, что наконец сижу возле вас.
フレスタコフ あなたの傍らに立っていられることがすでに幸せです。とはいえ、ぜひともとおっしゃるなら、座らせていただきましょう。ようやくあなたの側に座ることができ、なんと幸せなことか。

Анна Андреевна. Помилуйте, я никак не смею принять на свой счет… Я думаю, вам после столицы вояжировка показалась очень неприятною.
アンナ・アンドレエヴナ まぁ、ごめんください。そんなんじゃありませんわ……。都からいらしたとあっては、旅はさぞかし不快なことでしょう。

Хлестаков. Чрезвычайно неприятна. Привыкши жить, comprenez vous, в свете и вдруг очутиться в дороге: грязные трактиры, мрак невежества. Везде такая чепуха. Если б, признаюсь, не такой случай, который меня… (посматривает на Анну Андреевну и рисуется перед ней) так вознаградил за всё…
(основная редакция. <ЯВЛЕНИЕ 6-е, ДЕЙСТВИЕ III.>)
フレスタコフ まったく実に不愉快です。社交界に慣れていたのに、comprenez vous(お分かりでしょう)、不意に旅の中ですから。汚らしい宿、無学な人々。どこもかしこもそんな調子です。もしこうしたことがなければ……つまりわたしに……(アンナ・アンドレエヴナの方を見てもったいぶる)すっかり埋め合わせとなるようなことがなければ……
(第三幕第六場)


チェマダン03号「声と蝋」紹介文より
古い演劇を研究していると、作品そのものを観ることができないという壁にぶちあたる。過去の演劇を論じることは、どこまで可能なのか。それでも論じなければならない僕らは、あらゆる記録を手がかりにする。劇場跡地の足場の組み方、当時の塗料、科学史と照明の関係、僕らが知りたい芝居そのものはもう残っていないから、少ない手がかりから、どうにかこうにか力技にでも舞台をもう一度現代によみがえらせようとする。そういう意味では、なにを手がかりとするか、はとても重要だ。
例えば、ここに寄稿してくれたヴァレリー・ゾロトゥイヒン氏は、音源を手がかりに100年ほど前の演劇を読み解こうとしている。これらの音源は記事の中で彼自身が書いているように、貴重であり、そして今日までほとんど振り向かれなかった資料だ。およそ100年前に録音された俳優たちの声は、演じることを職業とする者の響きを備え、かつて録音するシリンダーの前に彼らが立っていたことを確かに感じさせてくれる。声は空気の震えであり、長い年月を経て、僕らはその震えを再び捉える。
20世紀初頭は、俳優の身体と感情の表現に対して演劇史に類をみないほど意識した時代だった。その身体と感情の結節点となったのが声だった。僕らが耳にするその声は、もしかしたら実際の芝居を観るよりも、雄弁に時代を語ってくれるかもしれない。
こうした音源史を紐解くゾロトゥイヒン氏の協力を得て、チェマダン編集部は、ロシア国立文学博物館収蔵の音源のひとつ、メイエルホリド劇場の伝説的な芝居『査察官』の一部をチェマダンブログ(chemodan.jp/blog)で公開する許可を得た。メイエルホリドの妻ジナイダ・ライフの唯一残された声の記録と名優エラスト・ガーリンの名人芸をぜひ聴き逃さないでもらいたい。(編集部)

アルセーニー・アヴラアモフ「Симфония гудков:轟のシンフォニー」

チェマダン第二号でも扱った作曲家アルセーニー・アヴラアモフ(1885-1944)の「轟のシンフォニー」の再現音源です。

世界初の音響レコードの創作者と言われています。
「彼は、12音階の均質な音楽を敵視し、そうした「伝統」音楽とは異なる音の統合について考察した。こうした考察は、20年代に入って、モーター音や鐘の音など、都市空間の環境音を統合した壮大なシンフォニーとなって結実した。この発想の背景にあったのは、新しい大衆社会の創造だったと言ってもよい。彼にとって、グランドピアノは作曲家あるいは演奏家という個人の思想の象徴であり、警笛やモーターの音は無個性の大衆社会の音であった。都市空間にあふれるこうした「社会の音」を「個人の音」に対置させた。彼は都市空間の音楽的素材の空間的構成のアイデアに惹かれ、「地形学的音響学」の計画を作成し、都市空間の録音と結びついた音楽ジャンルを研究した。ここから生まれたのが「轟のシンフォニー」である」(チェマダン第二号より抜粋)

聴いているうちに、機械音や鐘の音、サイレンの音に労働者たちの歌声、足音が交じり合い、不思議と昂揚させられます。

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ソ連解体時の写真

Фотографии времен распада СССР
https://bigpicture.ru/20-let-posle-raspada-sssr/

こちらは、より解体していく様子に焦点を当てた写真。
38枚目の写真は1991年9月28日の野外ロックフェスの様子。出演ミュージシャンは«AC/DC», «Pantera» と «Metallica»と書いてあります。この三つのバンドがソ連解体直前のこの時期に来ていたとは…。日本でも話題になっていたのでしょうか?
最後の写真は1991年12月21日、クレムリンにソ連の旗が掲げられている最後の瞬間です。明けた新年にはこの旗はロシアのものに変わっていました