「私たちは、軍隊ではない。」:ウクライナ《右派セクター》リーダーへのインタビュー(翻訳記事)

«Мы — не вооруженные силы»「私たちは、軍隊ではない。」
:ウクライナ《右派セクター》リーダーへのインタビュー
〜ロシアのニュースサイトLenta.ruのインタビュー記事の翻訳〜

 

[『チェマダン』編集部より]
マスコミでも報道されているように、ウクライナ南部クリミア自治共和国で3月17日に、ロシアへの編入の是非を問う住民投票が実施された。同共和国選挙管理委員会によれば、投票率82.7%、開票率75%の段階で、ロシアへの編入に賛成票を投じた人の割合は95.7%に至っている。95.7%という数字の異常な高さは除くとして、この住民投票によってロシアへの編入が承認されること自体は結果を見るまでもないことだった。今後、ますますクリミア自治共和国を巡って、クリミア自治共和国、ウクライナ、ロシア、そして関係諸国は、その緊張を高めていくことだろう。

現在進行形のウクライナの混乱は、ヤヌコヴィチ政権が打ち倒され、新たな暫定政権が成立したことによる。その一連の流れを追うことは我々の手に余るが、以下のインタビューのために、少しだけ補助線をひいておこう。
一連の事件の発端となったキエフでの反政府市民運動は、昨年の11月からはじまっている。ヤヌコヴィチ大統領(当時)がEUとの関係を強化する法案を成立直前で反故にしたことに端を発したこの大規模な市民デモは、独立広場で展開され、きわめて長期間にわたった。その間、1月19日にはデモ隊と治安部隊の間で大きな衝突があり、欧米メディアからの批判・EU首脳陣からの説得もあり、ヤヌコヴィチ政権もこのデモでも中心的な役割を担っていた主要野党の指導者らと妥協点を探ろうとしていたが、落としどころは見つからなかった。

出口が見つからぬ膠着状態の中でプレゼンスを増してきたのがウクライナのナショナリストたちのグループであり、そうしたナショナリストたちの連合団体として、このインタビューでとりあげられている《右派セクター》がある(ちなみに日本では他に、《極右セクター》、《ライトセクター》といった訳語が用いられている)。2月19日から21日にかけて多くの死者をだした治安部隊とデモ隊との激しい衝突は、こうした状況下で起こったことである(このときの模様が日本のマスコミでは大々的にとりあげられていた)。当時のキエフの惨状を写真や映像で目にした人ならわかるように、たとえば、火力の面で、治安部隊がデモ隊を一方的に鎮圧できるならば、ああした状況が生まれるはずはない。

プーチンが現在の暫定政権の正当性を認めない論拠の一つは、正当な手続きを踏まずにクーデターによって政権がかわったことにある。しかも、プーチンは、暫定政権がこうした過激派の活躍によって成立した政権であり、政権内部にこうした過激派が影響を及ぼしているとして批判の矛先を向けている。もっとも、これは例のアメリカ国務省が発表した「プーチン大統領の10のフィクション」の10番目に挙げられて批判されている見解ではある。しかし、一方で、ある種のリアリティを獲得しているのも確かである。

そうした観点から、『チェマダン』編集部では、ロシアのニュース・メディアLenta.ruが行った《右派セクター》の幹部の一人へのインタビューを翻訳してお届けすることにした。こうしたウクライナのナショナリストたちの見解(の一つ)を、日本語で知ることはなかなか難しいからだ。

さらにもう一点、この記事を翻訳したのには理由がある。このインタビュー記事が公開されたのが3月10日、そしてその二日後の3月12日に、このニュースサイトLenta.ruの編集長は突然更迭されてしまった。実際の判断がどのようなものだったかは不明であるが、この記事が民族的な対立を煽るものと認識されたことが原因と言われてもいる。この更迭に対し、内部の編集者など全体のおよそ80%にあたる40人が辞表を提出し、抗議の意を示すという事態に発展した。この記事はそうした種類のものでもある。

ウクライナやクリミアの一連の動乱に関しては、現状では、あらゆる切り口からあらゆる物語を紡ぐことが可能であり、無論、編集部としても、特定の政治的立場にコミットするわけではないことは念のために記しておく。
1写真- ダーコ・バンディク/AP写真: ダーコ・バンディク/AP

 

[Lenta.ru編集部による解説文]
戦闘的な運動におけるナショナリストたち《右派セクター》は、ほとんどウクライナ革命の主役のように思われている。
ウクライナ東部の住民たちは彼らを恐れ、ロシア国営放送は彼らをネオナチのように報じている。3月はじめにロシア連邦予審委員会は、《右派セクター》の指導者ドミトリー・ヤロシ氏をテロ行為煽動の罪で刑事告訴し、彼は国際指名手配された。
それにもかかわらず、去る土曜にヤロシ氏はウクライナ大統領選挙への立候補を表明した。彼の代理人の一人であり、《右派セクター》キエフ支部のリーダーでもあるアンドレイ・タラセンコは«Lenta.ru»に対し、ウクライナ的ナショナリズムとは何か、何故活動が政治に関わり、軍事介入の際にはロシア軍とどのように戦うつもりかを語った。

《右派セクター》の活動家の大部分のように、タラセンコ氏は、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の国外逃亡後に政権復帰したヴィクトル・ユシチェンコ時代の政治家たちを断固として信じていない。
まさにそれゆえ《右派セクター》は政党であろうとしており、リーダーのドミトリー・ヤロシ氏を大統領に選びだそうとしている。にもかかわらず、ウクライナのナショナリスト達はまだ政権に入ろうとはしていない。独立広場での勝利後、《右派セクター》は入閣を提案されたが、彼らは広場に留まることを選んだ。

タラセンコの言葉によれば、「皆が信じうるような統一的な教会やエリート」が存在しないウクライナにとって、統一された唯一の思想となりうるのはナショナリズムである。
彼は、クリミアは元来ウクライナの土地であり、タタール人にとっても「故郷になった」が、ロシア人にとってはそうではないと考えている。
ウクライナからの独立を望む少数のロシア人に対し、タラセンコ氏はある忠告をしている――「ロシアに去るべきだ」と。
同時に、《右派セクター》のキエフ支部のリーダーは、彼の同志が「民族や政党の範疇で人々を分けているのではなく」、「彼らの行動に基づいて」判断していると述べている。
彼らは、ウクライナのナショナリズムを擁護するならば、いかなる民族の市民とも和解する心構えがある。ただ、彼らが敵意を覚えるのは「ウクライナは存在せず、ウクライナ人も、ウクライナ語も存在しない」と語る人々に対してである。
ウクライナとロシアの公然たる軍事衝突の場合、タラセンコ氏は「大規模なゲリラ戦」となることを見込んでいる。
しかし現在のところ、武力行動は、クリミアも含め、《右派セクター》は避けている――タラセンコ氏は、クレムリンが武力を行使する為の挑発を待っていると考えている。

 

[インタビュー]
Lenta.ru(以下L): 《右派セクター》は何故、政治に介入し、政党を結成しているのでしょうか?
アンドレイ・タラセンコ(以下、AT):私たちは常に、いかなる政党も問題を解決しないと述べてきました。いかなる体制も壊すことができるのは、また別の体制だけです。私たちは政治に介入していますが、これは我々がすっかり政党になることを意味しません。政党にもなる、というだけです。相互制御のような状態が生じ、私はそれがそのままダメにならないように望んでいます。
2アンドレイ・タラセンコアンドレイ・タラセンコ
写真: ヴァレンチン・オギレンコ/ukrafoto

L:何故《右派セクター》の指導者ドミトリー・ヤロシ氏は大統領選に立候補したのでしょうか? 彼が選出されないことは明らかだと思うのですが。
AT:彼が失敗すると誰がいいましたか? まあ見てみましょう。
L:ヤロシ氏はより穏健派な右派の政治家たちから票を奪うので、それを受けて地域党暫定代表のセルゲイ・チギプコ氏(前副首相、ウクライナ南東部出身の大統領候補と予想される一人—Lenta.ru註)が躍進することになるでしょう。
AT:それは現実的ではありません。独立広場で起こったことは、国や政権だけでなく、国民全体を変えました。独立広場にいる人々は、自分たちの指導者たちがなにか正しくないことを言ったとき、彼らをやじります。既に多くの人々が口にしており、いまとなってはチギプコ派の人々が勝利を得ることは全く現実的ではないでしょう。
L:《右派セクター》は現在、政権内で起こっていることとどう関わっていますか? そこには第三代ウクライナ大統領であったヴィクトル・ユシチェンコ時代の政治家たちがいますが。
AT:ウクライナ全国民とまったく同じように満足していません。まさにそれゆえ、我々が政治に介入しようとしているのです。まさにそれゆえ、人々は我々に政治への参加を要請し、「あなたたちが行動しない限り、この状態は今後も続いてしまう」と言っているのです。
L:3月1日に《右派セクター》は動員を呼びかけました。もし革命が終わっているのならば、何の為に更に人員が必要なのですか?
AT:戦争の可能性に関する問題です。もしロシア連邦軍がキエフへ進攻してきたら、私たちは祖国を防衛することになる。
L:あなた方はかなり激しくロシアのクリミア進攻に関して発言し、「友情の列車」という声明も出しました[クリミアが侵されるようなことがあったら義勇兵を結成して派遣するという声明を《右派セクター》は2月25日に出した—『チェマダン』編集部註]。なぜ、あなた方は結局クリミアに向かわなかったのですか?
AT:私たちは運動として、クリミアに行くと言ったのではありません。私たちの考えでは、クリミアで起こっていることは――「グルジアの筋書き」と全く同じです。ロシアは、クリミアに誰からかまわず引っぱりこもうと手を尽くしてきました――それは現地の軍隊、あるいは現地以外の軍隊、あるいは我々です。我々が奪還を始め、射撃を始めるようにです。あたかもかつてグルジア大統領のミヘイル・サアカシュヴィリやったように。それによって彼らの侵略を正当化できるところまで状況を持っていこうとしているのです。
なぜ、今、プーチン氏は負けつつあるのか? なぜ、全世界が、この侵略に反対しているのか? それは、彼の目論んだように物事が進んでいないからでしょう。もし彼が、現状におけるあらゆる根拠を欠いたまま行動し続ければ、これは解釈の余地なく彼の負けとなるでしょう。
32014年3月9日、セヴァストポリ付近でウクライナ軍部隊を遮断しているいわゆる「クリミア自警団」2014年3月9日、セヴァストポリ付近でウクライナ軍部隊を遮断しているいわゆる「クリミア自警団」
写真: バズ・ラトナー/Reuters

 

L:もし、ロシア陸軍がドネツィクに進軍した場合、あなた方はそこへ行くことを計画していますか?
AT:我々は、軍隊ではありません。我々は、空から掩護された軍部隊に抵抗することは出来ないのです。だから、二、三千人の軍隊に対抗して私たちが出て行くなんて言うのは滑稽です。私たちは防衛策を練っていますし、もちろん、全力で敵を抑えます。
L:キエフにいる私の知人達が冗談で言っているような、ゲリラ戦を展開するという意図は無いのですか?
AT:それは冗談ではありません。ウクライナ人にはゲリラ戦を行ったという大きな経験があります。ウクライナ人は素晴らしい軍人であり、彼らの戦闘能力は世界に名高い。ウクライナ蜂起軍(UPA)は何年もの間、外国からの支援がまったくないまま戦ってきました。UPAのゲリラ戦の戦術は、アメリカのウェストポイント(アメリカ陸軍士官学校—Lenta.ru註)で教えられています。
ヤヌコヴィッチ打倒以前は、もし独立広場において武力的掃討が行われたり、平和的な人々に射撃がなされたりする場合、ゲリラ戦がはじまると我々は言ってきました。もし、ヤヌコヴィッチが逃亡していなかったら、そうなっていたかもしれません。仮にウクライナ軍が撃滅されたら、大規模なゲリラ戦が始まるでしょう。ウクライナは――小さなグルジアではありません。そこがロシアにとっては遥かにややこしい点でしょう。
4ウクライナ蜂起軍、カルパチア山脈にてウクライナ蜂起軍、カルパチア山脈にて

 

L:しかし、今現在、クリミアでゲリラ戦を展開する必要は無いのですか?
AT:(答えるかわりにうなずく)
L:なぜ、ウクライナのナショナリスト達にとって、クリミアはそれほど重要なのでしょう? ここはかつてのロシア領なのですが……
AT:何の根拠があって? 面白いことをいいますね。
L:もしくはタタールの土地とも言えます。しかし、どちらにせよリヴィウではない。
AT:クリミアは――ウクライナの土地です。それはクリミア・タタールの民族が存在する前、そして当然モスクワが存在する前からです。クリミアの土地だの、ロシアの土地だのと言うことは――ただ馬鹿馬鹿しいことです。クリミアは、太古からウクライナの土地です。あの土地で、クリミア・タタール人が民族として形成されたことは、単にクリミアが彼らの生まれた土地でもあることを示しているにすぎません。このようにして、私たちの領土の一部が彼らの故郷になったのです。このことに関して、他の見方はないでしょう。
L:何故、あなた方の戦闘員は、今日まで、クリミアで警棒とナイフを携帯しているのですか? 威嚇の目的でしょうか?
AT:誰に対する威嚇ですか?
L:私は知りません。
AT:私たちは誰のことも威嚇していません。
5ドミトリー・ヤロシドミトリー・ヤロシ
写真:ユーリー・キルニチニー/AFP

 

L:でもうろついてますよね。
AT:それはあくまでも警備と自衛が目的です。ヤロシ氏に関する裁判は始まっているし、我々は彼を抹消するために特殊部隊が送られたという情報もつかんでいます。これまでに彼と私を抹殺するというウクライナ治安部隊の命令がありました。
L:《右派セクター》は先日、独立広場で警察に対して武器を使用したことを認めましたね。
AT:我々は決して射撃してはいません。独立広場でも、その外部でも。
L:しかし武器は持っていたんですね?
AT:我々がそうした状態になったのは時期的にはとても遅く、革命がまさに戦闘行為に達したときでした。我々は、許可をとって武器を個人所有している人々に向けて、独立広場に集まるように呼びかけました。問題は人々に対して大量射撃が行われるだろうということだったので、我々は自衛することを許可したんです。
L:あなたは射撃しなかった、と? じゃあ、誰か他の人が射撃しましたか?
AT:我々は射撃していない。確かです。
L:もしあなたが《右派セクター》は武器を使用していないというのならば、じゃあどのようにして蜂起の最後の日に警察に勝つことができ、彼らを追い払うことができたのですか?
AT:わからない。彼らはおびえたのかもしれないし、彼らには退却命令が出たのかもしれない。おそらく、彼らがちょうど退却をしはじめたが故に、人々が前へと突進していったのだと思います。隊列を組んだ銃撃戦ではなく、ばらばらに人々が動き、ばらばらに警官が逃走したのですから。
62014年2月20日、キエフの大学通りでスナイパーの射撃に狙われているデモ隊2014年2月20日、キエフの大学通りでスナイパーの射撃に狙われているデモ隊
写真:セルゲイ・スピンスキー/AFP

 

L:《召された百人》(独立広場で亡くなった活動家たち—Lenta.ru註)に《右派セクター》の人間は一人もいなかったと言われています。これは本当ですか?
AT:それは本当ではない。死んだ者もいましたが、多数ではありませんでした。その理由は、我々は常にトレーニングし、どのように行動し、動き、退却し、前進するか、我々の仲間の動きを計画的に練っているからです。我々の仲間は部隊では整然と行動し、的確に司令官の命令を守り、けが人を見捨てることはしない。
AT:実際に人々はばらばらに前へと飛び出し、彼らに対する銃撃が始まったから多くの人々が死んだ。協議なく実行に移されたのです。我々はそれには加わっていません。2月18日に行われた排除に対して我々の小部隊がグルシェフスキー通りで活動していたとき、自衛部隊は政府機関地区にいたんです。
自衛部隊はそこで撃破され、グルシェフスキー通りの小部隊はヨーロッパ広場に築かれていたバリケードまで退却し、完全にそこを守っていました。そこでは装甲車が焼かれており、我々は全く戻ることができなくなったのです。大学通りにいたのは、部隊として組織されていない、本能的に行動したふつうの市民たちでした。警官が防御を突破して我々の仲間たちの背後にやってきたとき、我々はこのバリケードからは離れることを余儀なくされました。
L:最後の日にあたる2月21日の大学通りでの狙撃では、人々が木製の盾を手にスナイパーの方に向かい、亡くなりました…
AT:我々は脆弱な枝ではない。我々の仲間は命令を遂行するのです。だから我々の仲間は「さあ、素晴らしい、進め!」と思って突撃して死ぬことはない。だから私たちには死者が少ないです。しかし、一番最初に亡くなったうちの一人、ベラルーシ人のミハイル・ジズネフスキーは我々の仲間でした。
あるいは、ハリコフ地方行政府での騒乱の折に、独立広場で戦った者たちが追い出されたとき、我々の仲間二人が死んでいます(3月1日の事件についての話—Lenta.ru 註)。ただ我々はこれについてPRをすることはなく、目に涙を浮かべてそこで我々の仲間が何人死んだことかと叫ぶために表舞台に出るようなことをしなかっただけです。これは、PRのネタなどではないし、そんなPRは異常なことですよ。
72014年3月1日、ハリコフ行政府の建物掌握後のロシア派の活動家たち2014年3月1日、ハリコフ行政府の建物掌握後のロシア派の活動家たち
写真:セルゲイ・ボボク/AFP

 

L:《右派セクター》は浄化[国家保安機関の旧職員やその協力者の開示およびその責任追及を行うこと−−『チェマダン』編集部註]に積極的に進出していますが、私の見ている限りでは成功していません。残念ではないですか?
AT:我々の法律家たちは現在、浄化と武器に関する法律について取り組んでいます。我々は、市民は武装しなければなないと考えています。スイスのように。スイスは小さな軍を持った中立国ですが、必要な時は全ての国民が軍になることができます。私は、これは全く正しいと思っています。
L:《右派セクター》は内務省の重要なポストを提供され、ヤロシ氏を国家安全保障・国防会議の評議会のリーダー代理に抜擢されるという話がありましたが、あなた方は結局そうしたくなかったのか、あるいは何が望みなのでしょうか?
AT:我々は、何の影響力もなく何も決定できないポストを提案されました。もし幹部たちの政治を管理することができるならば、我々は何らかのポストをやってもいいと話しています。でも、そんなことは誰も望みはしないでしょう。今の、幹部たちの政治、内務省や他の省庁を見てみなさい。これに憤慨して人々は、独立広場での犠牲者たちがこんなことのために亡くなったのではないと言っています。
8《召された百人》《召された百人》
イラスト:ユーリー・ジュラヴェリ

 

L:ヤロシ氏は《右派セクター》におけるロシア嫌悪を積極的に否定していますが…
AT:いったいどこから我々がロシア嫌悪であるということを聞いたんですか? 我々には概していかなる嫌悪もまったくありません。我々はウクライナのナショナリストです。つまり、我々は自分の国家を愛していて、国家のために何かを行うということです。我々はあらゆる他の民族を尊敬している。グローバルな世界においては、どのナショナリズムの目的も、民族国家という原則に則って世界を作ることです。どの民族も自分の政府を持つべきじゃないですか? したがって、ウクライナのナショナリズムにはショービニズムもファシズムもないのです。これはまったく異なる問題です。
L:しかし《右派セクター》のそれぞれの活動家たちの中にはショービニズムが広まっていて、ナチズムも同様に広まっています。《ユダヤ人とモスカル[ウクライナ人、ベラルーシ人、ポーランド人のロシア人兵士に対する別称−−『チェマダン』編集部註]》や、かぎ十字に関する冗談も少なくはない。ナショナリストは常に何らかの外敵を必要とします。ロシアではナショナリストたちは、たとえば北コーカサスや中央アジアからの移住者に対して敵対しています。
AT:我々の仲間は実に様々です。ウルトラ・ナショナリストからウルトラ・リベラルまでいる。しかし、民族的理念がすべての人々を結びつけている。これはウクライナを統合しうる唯一のものであり、我々にはこれ以外のものはないんだ。我々には統一された教会はないし、軍隊は疲弊しており、全ての人々が信頼できるようなエリートの政治家もいない。
しかしそれにもかかわらず、我々はなんらかの国に対して憎しみは持っていません。ウクライナ人でないあらゆる民族への態度に関して、我々には、ステパン・バンデーラによる明確な定義があります。我々と共に戦う者に対しては義兄弟のように接する。何もしないが、我々を理解し、支持する者に対しては絶対的に中立で寛容な態度をとる。そして、ウクライナは存在せず、ウクライナ人やウクライナ語は存在していないと語る者に対しては敵対的な態度をとる。
その人間がどの民族かは重要ではありません。我々は民族や党の区別によって思考したことは決してないし、我々は常に人間をその行動によって区別します。したがって我々がロシアについて語るとき、我々はロシア人やロシア政府について言っているのではなく、クレムリンの帝国主義的な政治を指導している者のことを言っているのです。
2014年1月19日、グルシェフスキー通り2014年1月19日、グルシェフスキー通りでの警察との衝突に加わった者の盾には《14/88》と書かれていた[88は「ハイル・ヒトラー」の隠語であり、14は「白人至上主義」を意味し、しばしば両者は民族主義者によって組み合わせて用いられる−−『チェマダン』編集部註]
写真:セルゲイ・スプニスキー/AFP

 

L:この間あなた方の《フ・コンタクチェ[ロシア最大のSNS−−『チェマダン』編集部註]》のグループにおいてヤロシ氏のアカウントからチェチェンの戦闘員のリーダー、ドク・ウマロフへ、ウクライナ支持を訴える呼びかけがありました。その後、あなた方はサイトがハッキングされたと言っていますが、そこにはかなり好意的にチェチェンの戦闘員を評価する2008年のヤロシ氏へのインタビューがあります。
AT:これもまたナショナリズム・イデオロギーに由来しているものです。我々はそれぞれの民族は固有の自民族の政府を持つべきであると言っています。そしてこれは、帝国主義のくびきの下にいる全ての民族に関わることです。したがって我々は、どの民族であろうといつも自らの独立を求める戦いを支持してきたし、これからも支持するでしょう。チェチェン人もまた一つの民族です。
我々はまた何百年も独立のために闘ったが、決してテロリズムや一般市民を攻撃する活動を支持したことはありません。ウクライナ民族主義者組織の歴史を見てみれば、そこには住民を殺すテロリスト的行為は決してありませんでした。
L:その意味ではあなたは、ウクライナから分離を望むドネツクのロシア人たちを支持しなければならないのでは。
AT:あなたは考えを取り違えています。わたしは民族について話しているのです。あなたはドネツクに束の間の間いるロシア人たちについて話しているわけです。
L:しかし彼らはそこにいます。
AT:もし彼らがロシア民族であれば、彼らにはロシア連邦という本国があります。いったいどんな問題があるというのですか? ここは何世紀もの大昔からウクライナ人が住むウクライナの土地です。違いがわかりますか?
L:つまりロシア人は単にロシアに帰るべきだと?
AT:もし彼らがウクライナを気に入らないのだったら、どんな問題があるというのか?
L:ロシア語の使用を制限する何らかの必要はあるのですか?
AT:それは、どこかで何らかの形でロシア語が迫害されるという、例のいつもの帝国主義的な神話ですよ。私自身はスヒドニャク(ウクライナ東部からの移住者—Lenta.ru註)です。私は人生の半分はロシア語で話していました。しかし今、私がどこか東部でウクライナ語で話せば、私は迫害される。
L:しかしあなた自身はロシア語で話すのを拒否しますね。なぜですか。
AT:なぜならば、私はウクライナのナショナリストだからです。あなたは私の言うことを理解するからです。
L:ほんとうでしょうか?
AT:私がモスクワのあなたの元にやってきて、あなたにインタビューをして、ウクライナ語でしゃべるようお願いすることを想像してみてください。あなたはウクライナ語でしゃべるでしょうか?
L:私はウクライナ語を知らないですから。
AT:私だってもうロシア語はわかりません、すでに忘れています。
92014年3月9日、ドネツクのレーン像でのロシアを支持するデモの人々。2014年3月9日、ドネツクのレーン像でのロシアを支持するデモの人々
写真:コンスタンチン・チェルニチュキン/Reuters

 

L:ウクライナの雑誌『レポーター』は普通の戦闘員として二週間《右派セクター》の元で過ごした記者の記事を掲載しました。そこで彼は、《右派セクター》は街路で酔っ払いを探し、気に入らない奴は捕まえ、あるいはチトゥーシキして[政治目的で身体的暴力を加えること。スポーツ選手チトゥーシコの事件に由来する−−『チェマダン』編集部註]、トイレで厳しく尋問することを詳しく書いています。あなた方はこうした実際を何とかしようとしましたか?
AT:もちろん何とかしようとしました。そのようなことはつねに間近で起こっていました。そうした人たちが我々の元に連れてこられたが、我々は彼らをもとの所へ帰しました。みな若く、興奮して闘っていたんです。多くのものに対して彼らは敵を見出していました。我々はこれを何とかしようとしながら、特別なグループさえ作りました。彼らは《チトゥーシキ》を連れてきた連中と話し、掴まえた時の様子を明らかにし、片っ端から殴るようなことがないようにしました。次第に我々はこのようなことを克服しました。
L:《右派セクター》は、代表者のアレクサンドル・ムズィチコ(サーシコ・ビリーとして知られる)とは彼の卑劣な行動のために手を切りたいと思わないのですか?
AT:なぜ我々は彼と手を切らなければならないのですか? 彼は武器を持たずに検事を脅したのであり、ただ彼のネクタイを引っ張っていただけです。マスコミはいつも映像や言葉の一部を取り上げ、間違った大きさにまで誇張しています。
実際のところムズィチコはこの検事の命を救ったといえます。この検事はある人を釈放し、ある女性が殺された事件の審理を進めなかった。それで、その検事と共に検察庁を焼き払ってしまおうという、武装した市民が集まったのです。ムズィチコはこの争いを止める役を自ら買って出て、検事のもとに行きました。もしムズィチコが検事に花を持って行ったならば、人々は彼も検事も八つ裂きにしていたでしょう。でもそうでなかったから、このようにして争いは消えたのです。そして人々は満足し、検事は審理を再開しました。
L:あなた方は、ロシアのテレビの宣伝の影響下にある、ロシア人とロシア語を話すウクライナ人にとっての自分のイメージをただすことを考えていますか?あなた方はPRの仕事をしていますか?
AT:我々はあるがままです。我々は政治家ではない。我々は偽らないし、何も捏造しないし、嘘もつかない。まさにそのために市民は我々を支持してくれているし、それは、我々は正直だからだ。政治家は常に多くを語るが何も語っていない。我々はあまり語らないが行動によって語るのだ。賢い人間はそれがわかるだろうし、私は、アホな奴らのために何かするということには意味を見出していないのです。
L:国の半分の人は東部に住んでいますが、そこでは人々はあなた方をかなり否定的に見ています。あなた方は東部での何か特別な活動を予定していますか? もしそうならば、どのようにして?
AT:私はすでに数年間キエフに住んでいるものの、東部出身であり、ドミトリー・ヤロシ氏は生涯ずっと東部で生活しています。これに関しては何の問題もない。そのことはいつも吹聴され、東部で我々は誰からも愛されないということがいわれています。しかし問題は、我々がどんな人間かではなく、何を行い、どんな考えをもっているかです。ウクライナ中で人々はこの我々の考えを同じように受け止め、我々に電話し、手紙を書き、我々のもとにやってくる人々は、大部分が東ウクライナからの人々です。《右派セクター》の半分は東部出身のロシア語を話す人々であり、半分はウクライナ全土から来るウクライナ語を話す人々です。彼らは互いに結びつき、生活し、共に戦かっている。我々の元にはロシア語を話すロシア人もおり、ロシアからやってきてバリケードで我々と共に戦っているのです。

 

ウクライナ語通訳:オリガ・イワノワ
聞き手:イリヤ・アザル(キエフ)
オリジナル・ソース:http://lenta.ru/articles/2014/03/10/pravysektor/


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