Анастасия Богомолова / Anastasiia Bogomolova / アナスタシヤ・ボゴモロヴァ
コースチャ:こんにちは、ナースチャ[アナスタシヤの愛称]。初フォトブックの出版、繰り返しだけれどおめでとう。僕も本当に嬉しいです。家族関係の写真を撮る人たちに僕はいつも夢中になってしまう。僕自身、これが複雑なテーマで、とりわけ自分の家族を撮ることは難しいというのが分かります。フォトブックについて、このテーマを選んだきっかけを教えてください。
ナースチャ:お祝いの言葉、ありがとう! 作品『Recall』は、いきなり思いついたわけではないんです。すでにここ何年か家族の記録を調査するのに夢中になっていて、身内にインタビューをし、記憶と歴史とを集めています。この探求にいつからとりつかれているかさえもう覚えてはいませんが、いつだか、このことで心がいっぱいになってしまい、ここから何かの作品を作りたいという想いが切実な問題となりました。『Recall』のはじまりは、ペテルブルクのフォト・デパートメントでの、《写真を越えて》という教育プログラムでの小さな課題でした。去年の秋に私はそこに入り、ネットで学んでいたんです。このプロセスが私には魅力的だったので、いくつかの写真を三部からなる作品にしてみて、それが結果としてフォトブックのかたちになりました。でも言っておきたいのは、この『Recall』は、まさに私自身の身内の経験が明らかにその根底にあるとはいえ、私の家族だけの物語ではないということです。まずこの作品は、記憶という移ろいやすいものを検証する試みです。記憶というものは、私たちが抱いている、親しい人や自分自身についてのイメージを変化させ、変貌させるわけです。こうしたモチーフは多くの人に馴染みのあるものです。
コースチャ:数年前、ロシアの若い写真家にとっては本の出版はとても難しかった。現在では自費出版があります。基本的にそれを行うのは、フォト・デパートメントの教育プログラムを修了した人たちの周りに集中しています。フォト・デパートメントが付属のショップでこれらの書籍を好意的に取り扱ってくれ、当然のようにどの書籍も一定の水準にあるのはとても素晴らしいことすし、見ていて気持ちがいい。『Recall』は自費出版ですか、それとも出版社と契約したものですか? その制作過程で何か困難にぶつかったり、誰かが助けてくれたりしましたか?
ナースチャ:そうですね、『Recall』は自費で出しました。もちろん、できれば私はこの本の英語版を出すための出版社を見つけたかったのですが。出版に際して大きな問題は(もちろん、費用のことは除いてですが)、私の場合、普通とは違う版型をどこで印刷するかということでした。私は自分が住んでいる街の印刷所のようなところに任せるのを心配していたんですが、素晴らしい写真家でデザイナーのユーリャ・ボリーソワが組版で協力してくれて、ペテルブルクのとある印刷所を勧めてくれました。彼女はそこから私のいるカスリーに色見本を送ってくれて、彼女自身はそこで、印刷に関する細かいところをたくさんチェックしてくれました。私は、彼女の力添えと協力に対して感謝してもしきれません。
コースチャ:今、あなたは新しい作品《Datcha/Garden》に取り組んでいるということですが、そこでは身内の写真を突き破って植物を芽吹かせている。僕はそのアイデアがとても気に入ったのですが、あなたのサイトにはおばあちゃんのあなたへの手紙がありますね。はじめ、それはごくありふれたものだと思いました。おばあちゃんが、新しい学校でのあなたの成功を祈り、ダーチャの野菜の豊作について書き記しているというような[編集部注:「ダーチャ」とは、郊外にある自家菜園付きの家屋。都市部に住むロシア人は休暇のときにここに来て時間を過ごすことが多く、「ロシアらしい」文化の一つとなっている]。でも、そうした個人的なものを通してそこに何か典型を見てとるならば、ほとんど多くのおばあちゃんはダーチャをもっているのだし、その子どもたちは成長し、孫もまた成長するわけですが、しばしば植物や野菜、イチゴ類はおばあちゃんたちの慰みになるわけです。この手紙は、ダーチャに関する僕の思い出、「ピーマンはちょっと多めの水がいるのよ」とおばあちゃんが語る様子、おばあちゃんが畝でせかせか動き回って雑草を抜いている様子といった、記憶の中にある痕跡を呼び起こしました。それからダーチャの写真から植物が生え出ている写真を見たとき、何かあたたかいものが僕を包み込みました。でも、他の植物と共にあなたは家族の記録である白黒写真を使っている。最初、僕は、この作品が『Recall』の第四部のようなものなのかなと思ったんですが、でもおばあちゃんの手紙と野菜の物語がここにはある・・・。僕は、これが完全にダーチャについての作品であって欲しい! 実際のところどうなんですか?
ナースチャ:間違いなく、この作品の出発点は、カザフスタンにあるおばあちゃんのダーチャで過ごした時間についての思い出です。でも私は、この幼年時代や青春の経験を捉えることだけを目的としたわけではありません。ダーチャ、庭、菜園、それらはいつも私たちの家族の中にあり、私たちを養ってくれるわけですが、私にとってそれらは、自分の根幹が、私が属しているものや生まれた場所への愛着が、まさしくかたちをとって現れたものとなったのです。父方の両親のダーチャで、私は初めて小さな種から植物が出てくるという奇跡を意識しました。母方のおばあちゃんの庭で私は、自分の土地と自分の家とを愛するとはどういうことなのかを本当の意味で理解しました。作品に取りかかって、この土地の感覚や、両方のおばあちゃんと父を亡くしたことによって弱められたその土地との結びつきを取り戻したいと思いました。それと同時に私にとっては、生きたもの(野菜や花)が生きていないもの(家族写真は本質的にそうしたものです)を横切っていくプロセスが、写真と死について、循環と再生について、そして私たちの祖国のいくつもの世代が私たちを満たす力について語る方法でもあります。
コースチャ:二日前、僕は地下鉄で年老いた男性に会ったんですが、彼は戦争で腕に何か傷害を負ったようでした。彼の目には輝くものがあり、僕は彼と共に地下鉄を降り、写真を撮らせてもらうために知り合いになろうとしました。でも彼はこう言った、「若者を撮ったほうがよかろう」って。そして、背を向けて去っていきました。そのとき、世代間にはどれくらいの隔たりがあるのだろうか、と僕は当惑しました。街で誰かと知り合いになろうとすれば、相手はすぐさま、こいつは何かを売りつけたいとか、あるいは何かよくないことを企んでるとかって考えるというのが僕にはわかった。もしかしたらそれは、相手を惹きつける力の問題かもしれないし、しかも、大概のことはその街次第だってことを僕は否定しません。モスクワや大都市では人々は冷淡です。僕はこのことをロシア中を旅したときに感じました。この点で、若い女性のほうがそうすることはもっと簡単で、相手に信用されやすいんじゃないかな。あなたにはドキュメンタリー写真の作品もありますが、そこでは様々な年齢の人々を撮っていますね。《ウラル・ポエジーの世代》です。また、さらにあなたはいつだったかフェイスブックで、『Recall』のために身内を撮影したときに困難にぶつかったということを記していました。《ウラル・ポエジーの世代》とその撮影経験について教えてください。
ナースチャ:撮影に際して、若い女性写真家がより信用されやすいっていうのが実際にそうなのかは判断するのは難しいわ。自分の経験でいうと、私はオープンな被写体と出くわすのと同じくらい、不信感をあらわにした被写体とぶつかってきました。でも、次第に私は自分自身にとって一定の作業テンポを作り上げました。ポートレート撮影について言うなら、通常、私は、数時間から一日あるいは二日にわたってその人と話すことができます。その会話の話題は、たぶん何だっていいんです。そして、相手が帰ったりでかけたりするまでの短い時間、五分間を私は撮影のために使います。ウラルの詩人たちを撮った作品群の大部分はそうやって撮影しました。この場合、さまざまな世代の代表者たちとの結びつきを調整するために特別難しいことはありませんでした。しばしば決定的な役割を担ったのは、まさにそこに至るまでの会話でした。でも、身内とはそんなことしないから! その点で難しさがあったのは、具体的な『Recall』の制作時というよりは、概して、親しい人を気軽に撮りたいときでした。彼らは撮影を嫌がっていて。これは面白いパラドクスだと思います。
コースチャ:フェイスブックであなたは、あなた(や他の人)が自分にとって面白い外国の写真家の作品を採り上げるブログ《写真語りとフォトエッセイのテリトリー》を閉じたいと書いていたのを読みました。何人かの読者に激しい反発を受けたからということでした。僕もこの問題については考えさせられることがあります。つまり、「ロシアの鑑賞者の心得」、です。こうしたことが起こるのは、ロシアには写真関係の専門教育機関が発展していないからだと思うんです。たとえばヨーロッパにしても、写真家たちに対し、なにか焦眉の社会的なテーマだとか概して自分の生活だとかを解明し、検証することが明確に教えられています。そこでは、写真家というのが研究者であり、たんに美しくて愛でるものを生み出す人ではないという考えが浸透しています。思うに、あなたのブログのような、イニシアチブをとるようなものが僕らの写真には必要なんです。というのは、ロシアでは普通、複数の写真に連関があるということをたんに知らないという人もいますし、たんにそれに気づかないという人もいる。これは嘆かわしいことです。モスクワでもロトチェンコ・スクールでテーマ研究が行われていることを知っていますし、ペテルブルクではフォト・デパートメントが「研究としての写真」という教育コースをやっています。でも僕は、フォト・デパートメントやロトチェンコ・スクールに対するおかしな否定的な評価をたくさん耳にする。残念ながら、まったく建設的なものではありません。もちろんこれは大きな話になりますが、あなたはこうした点についてどう考えていますか? そして、あなたがどこで学んだのか教えてください。
ナースチャ:教育課程の問題ね。この問題は、写真専門の教育機関に止まらないもっと大きな問題だと思います。これは、芸術作品の鑑賞者や消費者全体の教育に関する複雑な問題です。芸術を鑑賞する心得は、空中から生じるわけではないですし、それは十分に歳をとった大人においてだってそうです。見ることや見ているものについて考えることを学ぶためには、長い時間が必要です。たぶん私は理想主義者なのでしょうが、でも、こうしたことを把握する道のりは幼い頃からはじめられるべきだと思います。私たちの国にはそうした教育に関するしっかりした標準的なプログラムはないのですが。世界の芸術史を教える学校の授業の貧しさや学校の先生と美術館へ足を運ぶ機会が少ないこと、そうした状況は、控え目にいっても、視覚的なものに対する繊細な感覚や趣味を形成するには不十分だといえます。
具体的に写真について話を戻すなら、まったくお先真っ暗ではないと思いたいです。写真を扱う共同体そのものの中で、自分たちの領域とは異なる言葉で、異なるテーマで語ろうとする動きみたいなものがはじまっています。ロシア語でもより多くの本が出版されるようになりましたし、それらの中で写真は、露出や絞りの数値という視点ではなく、メディウムとして語られています。このことが実りをもたらさないわけはない。大いに期待しちゃいますけどね。
教育に関しては、すでに話したように、私はフォト・デパートメントのナジェジダ・シェレメトヴァの《写真を越えて》というコースで学びました。そして今、私はこのプログラムの修了生のためのコースに通っています。スカイプやビデオ中継を通して学んでいるんです。これが私の唯一の写真教育です。これらのコース以前、私は様々な文献を読み、購入したフォトブックを眺めながら、独学で歩んできました。
コースチャ:ロシアの現代の写真家であなたに影響を与えた人はいますか?
ナースチャ:まだ私が自分をフォト・ジャーナリストという枠組みで考えていたとき、このジャンルの他の多くの若い写真家と同じく、私に大きな影響を与えたのはセルゲイ・マクシミシンの写真でした。今になってみればそれは、とても遠いもののように思えます! 現在の私の写真への影響に関して言えば、ロシアの写真家よりも、より多くを外国の写真家に負っています。でも、ボリス・ミハイロフや、残念ながらすでに故人となってしまいましたがヴラジミル・クプリヤノフの仕事には、大きなインスピレーションを受けています。時間に対する、写真に対する彼らのアプローチに私は強いシンパシーを感じます。
http://anastasiabogomolova.com/
(by Konstantin Ladvischenko, photographer)