【Russian avant-garde特集第一弾】
フセヴォロド・メイエルホリド(Всеволод Эмильевич Мейерхольд)、1974-1940、映像付き!
最初は、メイエルホリドからです。この名前、聞いたことありますでしょうか?!
演劇のみならずロシアのアヴァンギャルド運動を語る際には、欠かせない人物です。
もともとは、スタニスラフスキーという俳優、演出家がネミロヴィチ=ダンチェンコと創設したモスクワ芸術座で俳優としてプロの演劇生活をスタートしました。が、すぐさまモスクワ芸術座の自然主義演劇(生活を写しとる)に叛旗を翻し、「演劇的な演劇」を目指した人物です。
日本の演劇における「リアリズム」という用語は、このモスクワ芸術座の自然主義演劇の影響がかなり大きいのですが、メイエルホリド自身はリアリズムを否定したことはほとんどありません。
この点を詳しく書くと、膨大な字数になるので割愛しますが、メイエルホリドは、「生活を切り取ったような演劇なんて、説明過多で面白くねー!! 見世物小屋とかの至芸(曲芸?)が駆使された演劇のほうが観客も想像力が刺激されて面白いっしょ!! 観客はそのへんの生活観に来てんじゃないよ、役者の技芸と身体を観に来て、空間を体験しに来てるんだよ!」と言って、実にラディカルな演出を次々と生み出していきました。そして、そうした演劇によっても「リアル」を描きだすことができる、と考えていたのです。
活動の場所も多岐に渡り、ロシア演劇界のトップである帝室劇場からキャバレーのような場所まで、実に様々な空間でぎりぎりの鋭い演出を行っていました(なので当然、敵も多いです)。
一緒に仕事をした芸術家たちもみんな現在からみると大物ぞろいです。マヤコフスキー、ロトチェンコ、ショスタコヴィチ、ほかもろもろ。映画監督のエイゼンシテインは、メイエルホリドのお弟子さんです。
ショスタコヴィチなどは、メイエルホリドの劇音楽を作るために、メイエルホリドの家に軟禁され、半ば強引に(?!)曲を書かされたりしていました。
この映像は、そのメイエルホリドが演出したゴーゴリの『査察官(検察官)』(1926)の一部です。
映像資料はほとんど残っていないので、現在でも貴重な資料となっています。日本の歌舞伎からも強い影響を受けていたメイエルホリドですが、この『査察官』での役者の演技に歌舞伎の影響をみる人もいます。いかがでしょうか?!