保守的な革命、クリミアの意味:アレクサンドル・モロゾフが語る、クリミアの併合が我々に呈示した新しいプーチンについて。彼はもうまったく《ペレーヴィン》ではないことについて。
文:アレクサンドル・モロゾフ
[『チェマダン』編集部より]
インターネットのリベラルなオピニオン・サイトCOLTA.RU上に、2014年3月17日に掲載されたアレクサンドル・モロゾフの記事の翻訳をお届けする。モロゾフは、ジャーナリスト、政治学者で、同じく社会・政治時評を扱うインターネット・ジャーナル『ロシア雑誌』の編集長である。クリミア自治共和国をロシアへ編入する条約にプーチンが署名した前日の記事になるが、ロシア人ジャーナリストの一人がプーチンのクリミアへの対応をどう捉えているか、興味深い内容になっている。
1.
ウクライナ危機は完全に新たなフェーズへと移った。クリミアの住民投票が行われたのだ。今、必要なのは、我々がどういう空間に位置しているかを理解することだ。まず第一に言わなければならないのは、これは戦争であって、商売ではないということだ。ロシアでは最近まで《インタレスト・ポリティクス》の精神による解釈を見ることができた。つまり、プーチンは、賭け金をつり上げることで、《交渉を有利に進られる立場》をとって先々に何か特典を得られるようにする、というわけだ。クレムリンが住民投票を盾に脅しつつ、実際にはそれを行わなかったならば、確かにそうだっただろう。プーチンがこの住民投票に基づいてクリミアをロシア連邦に編入するか否かということは、現在ではすでに意味をもっていない[この記事が公表された時点では、まだプーチンは、ロシアへのクリミアの編入を宣言していない—『チェマダン』編集部註]。明らかなのは、プーチンの古くからのパートナーたち、すなわち、諸国のリーダーたちからすれば、そのレトリックと政治的決定によってクレムリンは2月25日と3月16日の間で、完全に《囲いの外へ》出たことになる。
現在進行中のこのことについては、三つの解釈がロシアのメディアやサイトで広がっている。
一つ目は、ウクライナ危機への激しい干渉は、最初からクリミアを掠奪する目的があったというものだ。これは《コソボのリベンジ》である。この解釈が前提としているのは、クリミアを奪ってプーチンはそれで満足するだろう、というのは、プーチンからすれば、90年代末に踏みにじられた敬意のバランスのようなものを取り戻すことができるからだ、というものだ。プーチンの踏み出したこの一歩は、最終的には《シンメトリックな応答》と認められ、日常はそのまま先へと進み、世界の様々な中心地との協力関係のすべてはロシアに対して保持されるだろう。そして、協力関係の水準は危機が起こる以前にまで戻るだろう・・・。こうした解釈は、ヨーロッパやアメリカ、そして他の全世界と、冷たいか熱いかはさておき戦争を始める決定をプーチンが下したということを考慮していない。話はもっぱらリベンジの行為とstatus quo[対等なステータス]とについてだ。クレムリン的にいえば、クリミア掠奪の意味とは、オバマ自身が最近発言した、オバマへの親書にある文字通り次の言葉、「あらゆるものが価値をもっている」ということである。言い換えれば、ヴラジミル・プーチンはおそらく、自分が何か《新しいプロセス》を始めているのではなく、たんに《コソボの代償》を取りたてていると考えているのだ。
二つ目の解釈は、クレムリンの《ウクライナ戦略》が、すなわち西欧と新しい戦争を行うことを意識的に望んでいるのだ、ということをポイントに組立られている。クリミアはただのcasus belli[開戦の口実]というわけだ。目的とは、コソボの報復ではなく、破壊まではいかずとも、できあがっている世界の政治構造を修正しようとする意識である。つまり、第二次大戦の結果も、1991年の結果も、国際組織の役割や地位といったものも完全に再検討することだ。端的にいえば、新しいエポックをはじめるということだ。そうした精神で書かれたのが、クリミアの住民投票当日に出た、有名な外交政治の解説者フョードル・ルキヤノフの記事である。
三つ目の解釈を呈示したのはグレプ・パヴロフスキーだ。彼によれば、プーチンがウクライナ危機に参加したのは、自国の権力システムをかえるためのただの口実ということになる。クリミアの危機を利用して、プーチンはロシア国内で対応するための《先制革命》のような何かをはじめたのだ。パヴロフスキーが前提としているのは、その目的が、対立陣営の壊滅ではなく(そうでなくとも2013年にすでに対立陣営には圧力がかけられていた)、内部エリートの大規模な淘汰のようなものの下準備にあるということだ。この解釈において問題は、そのアクションでクリミアに動員された《紅衛兵》集団をプーチンが誰にけしかけようとしているのか、ということになる。想定されている《西欧との聖戦》の壁をぶつこの《衝撃波》は、いったいどこへ向けられねばならないのか? 誰がまさに《売国奴》や《国家の敵》となければならないのか?
パヴロフスキーが用いている《革命》という言葉は、古いマルクス主義的な意味ではなく、異なる意味である。革命とはまさに、《手続き上の民主主義》空間から抜け出ること、規則的な状態から抜け出ることである。そして不確定な状況を生みだすことである。思い出すべきは、1930年代のヨーロッパにおいて多くのリーダーたちが《プランなく絶え間ない革命》を行ってきたことだ。忘れてならないのは、ヒトラー主義とはまさにその最後の段階で《あらゆる問題の最終解決》のための具体的なプランを持っていたということである。それ以前の長く続いた段階においてそれはまさに、絶え間ない緊張状態と戯れる、危険な遊戯であった。この遊戯の結末を明確に思い描くことなく、不確定な状況に対してイニシアティブをとる権利を簒奪する、そういう危険な遊戯である。
現在のプーチンには、いかなる《新しい世界設計》のプランもないことははっきりしている。そのプランはくっきり描き出されるかもしれないし、そうでないかもしれない。それは、革命そのものの動きに則るだろう。クリミアは、まさに明瞭な最初の証明である−−あらゆることが可能なのだ。
例えば、クレムリンは軍隊をバルト三国との国境付近へと動かし、そこからNATOの部隊の撤退を要求することができるだろうか? あるいは、クレムリンはルシン人たちをロシアへ組み込むための運動を興すことができるだろうか? 現在、あらゆるこうした一歩を押さえるものは何もない。その一歩は、通常の政治的合理性ではなく、革命的合理性によって定められているのである。ブーツを塹壕に突っ込む覚悟があれば、その後から扉全体を押し返そうとしてみてもよいだろう。
2.
クレムリンは迅速に、ウクライナ危機に加わってからの数週間の間に、決定的に、そしてもはや公式のものとして1991年のことを解釈し直した。今では、1991年はもう《民主主義的な革命》ではないし、共産主義からの解放でもなく、ロシアが自由な世界へと抜け出したということでもない。それはもっぱら《地政学的な敗北》とされている。そのあとに続くのは、リベンジだろう。
言い換えれば、《不確定な状況》の創造に伴う、プランではなく、目的である。そしてその目的が、リベンジなのだ。
以前、2012年までの期間は全体にわたって、プーチンの政治路線は二つの概念を通して記述されてきた。それは《資本主義化》と《主権[最高権力]》である。これは完全に伝統的な政治論理であり、西欧にとってもわかりやすいものだ。ロシアは資本主義化されきっていない。だから、クレムリンは資本主義化を行って、自国の企業も、自国の経済全体も、さまざまなグローバルな指標に則った世界経済という文脈へと組み込んだ。たとえば、[天然ガスのパイプラインである]ノルド・ストリームもサウス・ストリームも発展させている。そして、伝統的なポリティクスをその主権の中で行っているのだ、と。
しかし、《クリミア》は、クレムリンが別のポリティクスへと完全に移っていることを示している。現在、クレムリンは資本主義化を犠牲にし、制裁のもとで進み、原料に関する協力関係の回路を断絶し、口座凍結のリスクを負う覚悟ができている。同じようにクリミアは、古い、つまりは保守的な《主権》というコンセプトの拒絶をも意味している。《主権》というコンセプトは革命時のそれへと変えられているのだ。正確にいえば、資本主義化と主権とが、未決定の未来の状況を生みだすこととリベンジのポリティクスへと交換されているのである。
リベンジは、通常の政治的ディスクールの力で満たされはしない。リベンジには別の合理性がある。それは政治的神話に依拠している。利益、商売、為替、協力、機構、伝統的な《インタレスト・ポリティクス》といった概念、つまり、概してrealpolitik[リアルポリティクス]のディスクールがその場所を明け渡すのは、リスク、ヒロイズム、英雄化された自死、そして、この《革命》の理念的な擁護者の一人、M. レーミゾフが書いているような、《宿命》である。あらゆる犠牲や最終的な破滅をもってしても、それが不条理であることを、こうしたポリティクスをもった指導者たちに対して説き伏せることはできない。反対にいえば、《ロシアとは、プロジェクトではなく、運命なのだ》(V. プーチン)ならば、運命は受け入れなければならないのだ、防空壕の中で自決することに直面していたときでさえ。戦争反対者たちはここ数日モスクワで集会を行っている。その中で行われている試みは、政治的神話に対して合理的な反論を提起しようというものだ。広がっている反論の一つはこうだ。《あなた方の子どもたちが戦争に動員されてもいいのですか?》。この論証がいかなる作用も持っていないことを我々は見ている。政治的神話の感染者たちは、成功以外に未来に対する他のいかなる選択肢も見てはいない。つまり、《クリミアは我々のものだ!》。
3.
ゼロ年代、クレムリンはロシア連邦のためのアイデンティティを定義した。それは《地域大国》である(バリアントとしては《エネルギー大国》もある)。このことは全てのパートナー諸国にとってわかりやすい宣言であった。2012年3月以降、クレムリンは保守的でモラル的なレトリックを展開しはじめ、何か《保守的なコミンテルン》のようなものを創り出す方針を採ったかのような印象が生まれた。つまり、伝統的な価値を支持する人たちの思い描くリーダーとして、プーチンのイメージを世界規模で固定することに資金を使おうとしているような印象だ。これは、《メディア戦略》として受けとられていた。つまり、政治的ポストモダンの一要素としてだ。レトリックとイメージ・システムを政治活動と結びつけずに展開することである。レトリックと政治活動は決して歯車で連動しているわけではないように思われた。レトリックはイメージに作用し、リアルポリティクスはグローバルな安全保障の規範と協力の枠組み内部で継続されていくだろう、と。
しかし、そこで、我々が間違っていたことがわかったのだ。《反マグニツキー法》(2012年12月)からクリミアの掠奪(2014年3月)までのおよそ一年の間に、急激な変化が起こったのだ。これはすでにポストモダンではない。現実的な衝突である。レトリックの歯車が現実と噛み合って、そしてクリミアが起こったのである。
4.
今後、多くの人はかつてを回顧して、プーチンは《最初の日からそうだった》のであり、あらゆることは1999年の高層アパート連続爆破事件から明らかである(そういう解釈のし直しも、今後、妥当なものとなるだろう)と言うだろうが、しかし、にもかかわらず、2014年の2月終わりから3月始めにかけて我々は、この生まれ変わりのプロセスの証人(と人質)になったのだと私は思う。プーチンは、たんに高い賭け金の賭博師になったのではなく、以前とは異なる、別の政治家に変貌したのである。それは《永久革命家》であって、あらゆる資源を不確定的な状況、予測不可能な状況を生みだすことに投げ出す革命家なのだ。同時に我々は、生まれ変わったロシア社会の証人でもある。その社会はソ連崩壊後25年も持たなかった。旧ソ連の他の諸民族との違いは、ロシア社会は《熱くなりすぎて》、新しい世界で自己自身の整備を処理することができなかったのだ。我々は、《クリミア奪取》の際の、この社会の大部分にうまれた素朴な喜びの証言者である。ちょうどクレムリンがルサンチマンとリベンジ主義を支えに戯れはじめてすぐ、明らかになったのは、大部分の教養がある階級、すなわちmiddle class[ミドル・クラス]の人々は、十分に高いレベルの生活を持っていながらもリベンジの欲望に打ち負かされたということである。未成年の狂信者がもつような本能的なリベンジの欲望に。
政治的空間そのものも生まれ変わった。2012年までロシアにいたのは左翼、右翼、そして中心であった。その中心とはかたちのないものであり、《統一ロシア》からの官僚たち、《職業的自由主義者たち》(たとえばクドリン)、《職業的保守主義者たち》(たとえばヤクーニン)、《職業的社会主義者たち》(たとえばミローノフ)といった人々の混合で成立していたが、2012年の抗議への応酬としてプーチンは政治的な中心の配置を完全に破壊した。この自由になった空間へ流れ込むのが《ミズーリナ[=反同性愛法]》だ。このことに一致するのが、マスコミシステム全体の変貌である。大雑把にいえば、現在、政治情報の中心は、古い『コメルサント』ではなく、新しい『イズヴェスチヤ』だ。現在の《政治情報の中心》は、クリミア掠奪のみならず、ほどほどの専制君主からまったく新しい人物像へと生まれ変わったプーチンをも、満場一致で支持しているのである。現在のロシア連邦の元首は《保守的な革命家》である。それはリベンジ主義の賭博師であり、ロシア連邦のもつあらゆる古いステータスを、20世紀の結果として出来上がった世界の構造全体へ揺さぶりをかけるために、犠牲にする覚悟があるのだ。現在、ロシア政治の中心には、責任能力のある人物はもういない。中心を満たしているのは世界的な《保守的な革命》の支持者である。この新しい中心のリーダーとなるのは、ジャーナリストのD. キセリョフ、作家のE. リモーノフだ。古い中心の残滓は急いで吠えたてるだろう。「ああ、ひどいもんだ!」−−議会の派閥の古いリーダーたち(S. ミローノフ)、あるいは以前はまったく害のなかった文化人たちがしているように。こうした文化的、政治的なエスタブリッシュメントは、すでに明らかなように、奈落に身を投げようとしている。危うい歴史的状況の創造に加担しようとしているのだ。
フョードル・ルキヤノフはその記事の中で次のような考えに我々を誘おうとしている。すなわち、プーチンは《ゴルバチョフを行うこと》を決定したのだが、それはつまり、1989年に戻り、東西陣営の世界の崩壊という状況をもう一度仕切り直すことを決めたのだ、と。だが、そうではない。プーチンが仮に、すべての世界の賭博者たちと政治的相互関係にある中で関税同盟やユーラシア同盟を生みだす努力を続けていたならば、そうだろう。例えば、彼がゼロ年代にノルド・ストリームやサウス・ストリームを掘りながら、交渉の中でパートナーとしての隣人たちへ、それらが合理的な《ロシアの利害》というコンテクストで受けとられるべきことだと示したようなかたちの政治的相互関係の中でだ。だが、クリミア併合が示すのは、これがまったく《ゴルバチョフを行うこと》ではないということだ。これは《ヒトラー=スターリン》を行うことなのだ。それは1930年代の力のポリティクスを行うことである。そして理解すべきは、これはすでに《ペレーヴィン》[邦訳も多数ある、いわゆるポストモダン系のロシアでも人気の現代作家−−『チェマダン』編集部註]ではないということ、すなわち、ポストモダニストのレトリックによるポリティクスではないということだ。ポストモダンのポリティクスは、笑いを刺激し、笑いを引き起こし、笑劇の印象を生みだすのだが、そのとき、現実の変化や支払わなくてはならない代価とは無関係なのだ。
左翼的か右翼的かはさておき、革命には高い代償を払わなければならない。《保守的な革命》は高くつく。この対価を支払わざるを得ないのは、プーチンが具体的にアメリカ大統領やドイツ首相と仲違いしたからでは全くない。たんに無分別そのものが高くつくからである。それはとても高い代価を孕んでいる。それを支払うのは、あらゆる階層、すべての家族たちである。《保守的な革命》の到来を喜んだ人も、それに反対した人も。
オリジナル・ソース:http://www.colta.ru/articles/society/2477