写真家オーリャ・イヴァノヴァへのインタビュー(聞き手:コースチャ)
コースチャ:
こんにちは、オーリャ! 初めてオーリャの写真を観たのはロトチェンコ・スクールのグループ展で、だいたい一年かそこら前の話。みんなでパリへ行ったときのことが、展覧会のテーマだった。君や生徒たちの作品の他に、アンナ・ブロークやイーゴリ・ムーヒンの作品も展示されてたけれど、この展覧会は君を含めたその三人だけが、インスタレーションや他のメディアを使わず、写真のみの作品を展示していて、その点が他の生徒たちと異なっていた。[下の写真はそのときのシリーズより]
それで、二回目に君の写真を観たのはこの下の写真だったけど、
当時、仕事をしていた写真会館で、展示室ではなく出版部のオフィスで観たんだ。壁にかかっていて、大きさはたぶん80x80 cmだったっけ。撮影したのが誰かは知らなかったし、僕は尋ねもしなかった。でも、この写真は僕にとって何か特別なものになった。前景にはぬくもりがあり、後景にはさめた感じがあるという単純な手法に見えるけど、でも、この手法がフラッシュと、被写体のコントラストの強いブラウスで強められて、一方、後景のさめた感じは、これが、おそらくは夜のとばりがおりつつある時刻であることによって強められている。このコントラストが僕の心を動かしたんだけど、色の組み合わせも、被写体の冷たい表情も、この相互陥入がもろに僕に刺さったんだ。何かおとぎ話の世界のようでもあって・・・。とても面白い感覚だよ!
あとで知ったんだ、これが、君の《おかしな奴ら》というシリーズの中の作品だったってことを。このシリーズで君は、何らかのイメージに自分自身を「改造する」人たちを撮っているよね。ヨーロッパではこういったテーマは他の人もやっているとはいえ、ロシアでは、君がどんぴしゃだったと思う。
オーリャ:
《おかしな奴ら》の場合、すべては編集部の要請ではじまったんです。『サイコロジー』という雑誌があって、さまざまなサブカルの代表的な人たちを撮影して欲しいって私に依頼してきたの。ときどき街で出くわすような人たちよね。それで、あなたが写真会館で観た写真に写っている、カーチャって女の子と知り合ったのよ。次のときに、カーチャは友達を連れてきてくれて、コトが回り始めたの。でも被写体の多くは、やっぱヴ・コンタクチェ[vkontakte: ロシアで最も利用されているSNS]で見つけたわ。コトはとても楽に進んだのよ。こういう人たちは写真に撮られるのが好きだし、そういう人を見つけるのは簡単だったし、撮影場所は手近にあったわけだから。そういう人たちとかかわったわけだけど、ほぼ毎回、普通の大人と付き合っていては経験できないようなことがあった。しかも、すごく恐ろしくてアグレッシブに見えるような被写体であればあるほど、その被写体は、とても物静かでより紳士的だった。その私の被写体はさまざまで、その中には、軍事産業に携わるエンジニアや連邦保安局で働く秘書、大学生や服飾関係の人、配達員、彫り物師、女子高生などがいたの。私が求めていたのは思想というよりは、美だった。彼らの見た目が好きだったし、私がまず選んだのは、激しい感情や何かドラマを持っている人ね。それに、自分が気にいっているのは、自身を抜け出すっていう考え。自分の身体を改造して、名前を取り替えて、イメージをでっち上げるっていうね。それで、自分を拒否することで自分のイメージを獲得するっていうことになるわけ。
コースチャ:
オーリャには平凡で小さな街を扱った作品集《郊外の街のキッチュ》があって、そうした街はロシアには無数にあるわけだけど、そこで君はその街に保存されている住人たちの家族写真を用いたり、また彼ら自身を撮影したりしているよね。この作品集へ寄せた文章の中で君は、「地方に残る伝統、つまり、晴れ着を着て、真剣な面持ちで意識してカメラに向かうポートレート写真を続けてみたかった」と記していた。僕がいいと思ったのは君のその繊細なユーモアとメタファで、そのせいで僕は哀しくもあり、可笑しくもありという感じだった。[下の写真は《郊外の街のキッチュ》で用いられた家族写真]
オーリャ:
何をいってるのか、よくわかんないわ。なんで哀しくなったの? あれにはユーモアもメタファもなくて、あれはたんに何の考えもない機械的な真似事よ。どこでも田舎に保存されている写真には、椅子のかたわらで撮った写真や、みんないろんな方向を向いて移っている集合写真があるの。その美的感覚がけっこう気になっちゃって。私はそれをコピーしようとしているだけ。
コースチャ:
いや、たぶん僕は君の作品についてたくさん考えすぎたんだ(笑)。僕とって面白かったのは、君のその作品が表層的なものじゃなくて、多義的なものであって、あくまで僕にとっては、そこに、かすかにしか捉えられないような何かあるような気がして、それについて僕は考えを巡らせたいって思わされちゃったからなんだ。僕の中でひっかかって、同時に考えさせられちゃったのは、ちょうど美的感覚っていうことなんだ。君はそれをコピーしていると言っているけれど、実際、多くの肖像写真の中にある君の美的感覚ってのは、「同時代的・ドキュメンタリ的」ってことだと思うんだ。そのせいで、僕にとっては君の作品そのものがそのメタファなんだ、という考えに至ったわけ。君が集団的記憶とそれに対する繊細なパロディを同居させているみたいだって。君の写真集には、肖像写真と同じく風景や家具があるよね。それがその雰囲気を伝えているんだ。そういう地方の撮影者は風景を撮らなかったのでしょ(少なくとも君は彼らがとった風景を見せてはない)。君の写真はまるでこういってるようなんだ。ご覧なさい、人々は自分たちの輪の中だけで生きているのだけれど、その周りには、ほら、人々を取り囲むものがあるんです、って。
僕にとっては君の写真集にある家族写真からとられた古い写真は、メタファを生み出すための支点なんだ。写真がひとりでに記憶の支点となったように。これら古い写真は根本的に、夢のようなものであって、しっかり作り込まれていて、いわゆる現実を写し出してはいないのだけれど、そこで写真家は人々がどう観られたいかを知っている。その先で君は、恐らくドキュメンタリと思われるさめた写真を用いることで、現実における事物の状態を刻印しながら、自分の意図としては田舎の写真家を真似しているのかもしれないけれど、君は二重性を生み出している。この二重性がちょうどメタファになる。この併存こそが君が言っていること、つまり、このロシアのもつ不条理感、このシュールな感じってことを創出しているんだよ。君のポートレートが作り込まれた演出だとしても、僕らの国に住まう人々の日常に対する君の観察や、君の写真が示している典型的なものは繊細やユーモアへと流れ込んでいって、パラドクスとしてある集団的記憶を嗤っているんだ。
オーリャ:
そうだね。ここにあるのはパロディでさえなくって、穏やかなイロニーであって、でもそれは私のイロニーではなくて、その土地が負わされているものだわ。タイトルそのものに「キッチュ[kich]」という言葉を含んでいるけど、これは「[ドイツ語の]キッチュ[Kitsch]であって、チョコやキャンディの包み紙は中身が割れたりしないように使われている入れ物を彩り、イコン・コーナー[ロシアの家にある聖像画を飾る場所]にあるイコンはファッション誌『ブルダ・モード』の切り抜きと並べられ、そのモデルたちはこれ見よがしに不自然なポーズをとっている。
古い写真についてはもうこれ以上いわないけれど、そうした写真には深刻なものと滑稽なもの、弔事と慶事、嘲笑と悲劇の境界がとても繊細に存在していると思うのよ。この作品は撮影者の眼差しがほとんどないという意味では、完全にドキュメンタリ的な作品。イロニーはただ、私が眼差しているこの現実そのものから自ずと滲み出るわけ。ある人の家にいったとして、そこの壁紙には滝が描かれるかもしれないけど、その土地の文化会館にはまるでアンディ・ウォーホルが描いたかのようなレーニンの肖像が掲げられている。それを撮るだけでしょ。私は、ロシアの美に対する考え方について大きな物語を作りたいとずっと思ってる。この作品集は、たぶん、まだ初めの一歩。
あ、急にちょっと思ったんだけど、田舎って古い写真は保存されているんだけど、誰が写っているのかってもう誰もわからないわけ。でも保存されているし、誰もこういう写真を見知らぬ誰かに売ったり、譲ったりするつもりはないのね。この現象は私にとっては面白かった。自分の作品集に名前のない写真を加えた私は、この被写体となっている人たちに承認してもらって、タンスの奥から出てもいいっていう権利をあげたかったみたいね。まあバカっぽいことだけど、でも自分の欲求に対してこれ以外の説明をまだ見つけられないわ。
コースチャ:
あなたはどんな写真が好きですか? 学んでみたいと思うような写真を撮っている人がロシアに誰かいますか?
オーリャ:
いろんな写真が好きよ。でもいちばん強く私が影響をうけたのはアメリカ写真の伝統ですね。ケイティ・グラナン、アレック・ソス、ダイアン・アーバス、ナン・ゴールディン、ゲイリー・ウィノグランド、リチャード・アヴェドン、タリン・サイモン、フィリップ=ロルカ・ディコルシア、ウィリアム・エグルストンとか。
ロシアの中での好きな写真家について私はけっこう考えていたわ。好きな写真家として最初に、シェール、スタルコフ、マルゴ・オヴチャレンコ、キール・エサドフの名前を書いた。その後で、それらを消して、ボリス・ミハイロフ、セルゲイ・ブラトコフと書いて、ちょっと考えて、イーゴリ・ムーヒンを書き加えた。で、また考えて、みんな捨てちゃったわ。ここで挙げた写真家たちのこと、私はみんな好きなんだけれど、でもそういう写真を私はやりたいわけじゃないんだもの。西側の伝統の中で私はやっていて、そのせいでいつも同胞たちの批判が聞こえてくるし(「くそったれ、中判カメラ・ユーザー」)、キュレーターたちの退屈そうな顔も見てるわ、「こういうのはいっぱいあるんだよね、何か独自のものを見せて欲しい」って。でも、まだそういうのは私にはやれない。私にとって大事なことは、いつか何かできる時まで、止まらないこと。でも私はまだ修行中なのよ。