Слюсарев, Александр / Sliussarev, Alexander / アレクサンドル・スリュサレフ
アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・スリュサレフは2010年に亡くなっている。そして多くの人が彼を古典と呼ぶ。にも関わらず、彼はやはり現代写真家に位置づけるべきだ。スリュサレフが関心を向けた事物や写真の原理によって、彼は、幾世代に亘る写真家たちにとっての教師となった。彼の死後、後継者たちは活発に活動している。
スリュサレフは1944年にモスクワに生まれた。初めて手にしたカメラは14歳のとき、<青春>という象徴的な名前のカメラだった。4年後にはすでに初めての展示に参加していた。1968年、彼はモリス・トレーズ外国語大学を卒業し、イタリア語の翻訳者・通訳として働いていたが、やはり写真は撮り続けていた。スリュサレフはこういってよければ、独学者アレクサンロドル・アレクサンドロヴィチだった。彼は外国の写真雑誌で学び、それは初期の作品に現われている。こうした写真はソ連では実際のところ誰もやっていないものだった。
スリュサレフの最初の個展は1979年にリガで開催された。このときから彼のは多くの個展、グループ展に参加してきた。1987年にはボリス・ミハイロフと知己を得、<Direct Photography>グループに参加。彼の作品はニューヨークのMoMAやデンマークの写真美術館MFFや「モスクワ写真会館」などに収蔵されている。 彼は写真における「形而上学」と呼ばれるジャンルの創設者とみなされている。雑駁にいえば、このジャンルにおいて、優位にたつのは形式であり、内容ではない。より正確にいえば、内容は退けられていて、それは純粋なフォルマリズムなんだ。スリュサレフは普段人々が眼を向けないもの、反射や影に大きな注意を払った。
2010年の5月、僕はモスクワのロトチェンコ・スクールで行われた彼の無料のレクチャーに参加する機会を得た。この学校で彼は1年ほど教えていた。当時僕は彼のことをあまり知らず、彼がやっていることが完全には分からなかったけど、理解したいとは思っていた。会場は満席で、壁際に立ち見も出ていた。アレクサンドル・スリュサレフは15分遅れて登場し、足取りはおぼつかなく、低い声でなにかをブツブツつぶやいていた。彼が酔っているのは明らかだった。彼の助手たち――学校の職員たちーーは恥ずかしさから顔を赤くしていた。スリュサレフはジャケットの中の何かを探し、およそ5分ほど、着てきたジャケットをあれこれひっくり返していた。それを脱ぎ、また着て、ポケットをまさぐり、また裏返していた。どうやら彼は写真を入れたディスクを忘れたようだった。でも、彼の助手がジャケットを受け取ると、ディスクは見つかった。少し経って、プロジェクターで最初の写真が映し出された。その写真の右側には蠅がとまった壁が写され、左側には手にスリッパを持ったアレクセイ・アレクサンドロヴィチ(スリュサレフ)が写っていた。彼はその酔っぱらった低い声で次のように言った。「で、これは、蠅の死です」。この瞬間、僕は耐えられなくなって会場を後にした。
後に僕はこのことを悔やんだ。その一ヶ月後の2010年4月にこの写真家はこの世を去ってしまったんだ。 この出来事を語ったのは次のことを「例解する」ためだ。つまり、鑑賞者は最初、しばしば彼の作品を理解することができない。生前最後のインタビューで彼が語っていたのは、「我々の」鑑賞者の主な間違いは、彼らが写真ではなく、写真に描かれている対象を見ていることにある、ということだった。スリュサレフは写真においては、ほとんどいつも形而上学者で、その結果、彼の鑑賞者との関係はとても難しいものだった。なぜなら観賞者は即座に彼の作品に入り込むことができず、その具体的な作品、具体的な作風に慣れるための時間が必要だったんだ。『独立新聞』のインタビューで彼は語っている。「かつて私は連作《クジミンキ》を発表した。意見を発した人々、とりわけ非常に権威ある批評家たちは、私が、愚弄しているのではなくとも、彼らをからかい、完全な戯言を見せているのだと判断した。実際これは全然そういったものではなかったのに。だが人々にとっては時として、私が見せているものに慣れることは極めて難しいのだった。作品を評価するためにはそれに慣れ、そして、その作品との日々の接触を持つことから結論を出す必要がある。写真の刹那的な性格は作品が手早く解釈されることを前提にしていない。本質は、その刹那性を感じることにある」。
アレクサンドル・スリュサレフの直接の後継者と言えるのは、《写真移動展派》(この名前はロシア絵画における《移動展派》グループ(1870年~1923年)のアナロジー)だろう。《写真移動展派》は実際、似たような活動をしていて、彼らはロシア中をまわり、レクチャー、ワークショップ、展示を形而上学的写真のテーマに沿って自主的に行っている。彼らは実際の写真を最も重要と考える人々なんだ。なにしろスリュサレフは次のように言っていた。「モニターあるいはテレビの画面に映し出されたもの、我々が基本的にインターネット上で見ているものを、写真と呼ぶことはできない。写真とは、手に取ることができる平面の像であり、画面上のもの、これはイラストなんだ」。グループに参加しているのは、ニコライ・ヴァシーリエフ、アンドレイ・ゴルヂェエフ、ドミトリイ・ムザリョフ、マリヤ・プロトニコヴァ、アレクサンドル・ルダコフ、アリサ・サモイロヴァ、ヴァジム・ソハネンコ、マクシム・スリュサレフだ。
スリュサレフは最後の瞬間まで、写真においてなにかを教えようとしていた。特にインターネット、そして概して世界的に写真の溢れかえった状態を考察しながら、彼は、いかなる場合でも像に対する関心が存在する、と指摘した。「しかも、人間の可能性は限定されている。君は全部を見ることはできない。見ることができるのは、君が見ているものだけだ。そして、それで完全に十分なんだ。君は、自分にとって、なぜ絵が必要なのか、を判断しなければならない。驚くべきことに、カメラを持っている人々は、そのとき、自分が撮っているものに対しての責任を持っていない」。
あるレクチャーでスリュサレフは会場から、今日皆が自分を写真家だと思っている状況をどう思うかという質問をされた。なにしろ現在では、いとも簡単にカメラのボタンを押すこと、あるいは携帯電話で撮影することができる。スリュサレフは、「鉛筆と紙を手に取る以上に簡単なことはない――でもそれで、良い芸術家が増えるわけじゃないでしょう!」と答えた。「私は写真をやっているわけですが、いったいどの程度それが芸術的かなんてわかりません。まず、判断すべきは私ではないですし、それに芸術的なものとそれ以外との違い、自分が携わっている写真がいかなるものか、これは私にとって重要ではありません…。つまり、これはジャンルにも関わっているのです。いずれの場合も、私はジャーナリスティックな写真ではなく分析的な写真に携わっています、つまり、私にとってある具体的な瞬間の情報は重要ではなく、重要なのはいうならばその瞬間の状態の情報なのです」。「私はたえず変化してますし、状況もたえず変化しています。川は流れているんです。繰り返しとは、それが普通の状態であったとしても、繰り返しではなくて、変化が継続しているということなのです」。(Konstantin Ladvischenko, photographer)
http://slusarev.livejournal.com/