Игорь Мухин / Igor Mukhin / イーゴリ・ムーヒン

Игорь Мухин / Igor Mukhin

Игорь Мухин

 

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僕らの間では彼を「人間カメラ」と呼ぶことが流行っているのだけれど、それは、イーゴリはいつもカメラを持ち歩き、すごくたくさん写真を撮るし、そうしたときには彼とカメラとが一体となっているからだ。モノクロ写真をイーゴリはいつも自分の手で現像するのだが、後に、あるインタビューで読んだところによると、彼は躊躇なく古いフィルムは切って捨てるようで、それについて彼自身は次のように言っている:「ごくありふれたことさ。フィルムでの撮影を続けているから、新しく撮影したものをしまっておく場所がなくなるからさ。僕は作業場を持ったことがないから、ネガやベタ焼きは全部、家にしまっている。古いやつを廃棄すれば、さらに仕事が続けられるというわけさ」。

 この言葉は僕に複雑にまざりあった感覚をもたらした。傑作となる可能性を秘めたものが無駄になり、誰かがゴミ箱をあさってそれをパクったりしないように(イーゴリはよくこうしたことを心配している)、作家が意図的にそれらを裁断してしまう。その一方で、傑作を選ぶのが作家自身であり、制作を次に進めることに関しては僕は彼に賛成だからだ。
イーゴリは1961年生まれ。写真に関する最初の教育を受けたのは1986年から87年にかけて、モスクワ大学の(ロシアの写真家で大御所とされている)アレクサンドル・ラーピンのスタジオでだった。アレクサンドル・スリュサレフはその最後のインタビューで、ラーピンがイーゴリを自分の弟子だと思っているが、イーゴリはラーピンのことを自分の師匠だとは思っていないということを語っている。1986年にイーゴリは最初のグループ展「フォト86」に参加し、そこで、アレクセイ・シュリギーン、ヴラジスラフ・エフィーモフ、イリヤ・ピガーノフ、セルゲイ・レオンチエフと知り合うことになる。こうした出会いが、1987年に「ストレート・フォト」というグループを結成するきっかけとなる。ペレストロイカの時期、イーゴリはソヴィエトの若者とロック・ミュージシャンを撮る独自の写真作品群を制作している。これは、ソヴィエトの写真にとって真の意味での切断だったと思う。ソ連ではこの時期、こうした作品群を誰も手がけようしなかったし、写真は本当に凋落してしまっていて、いわゆる「社会主義リアリズム」だけがあったのだが、国の注文で、雑誌『ソヴィエト・フォト』に掲載される写真は、「我が国の人々がすばらしい生活を送っている様子」を語るだけのものであった。
イーゴリはそのキャリアの始めからアクチュアルな写真を撮り、停滞する時代に彼は自分の世代を脇から見つめ、そこに価値を見出すことができた。彼は25年近く芸術家の共同生活を写真に納めているのだが、イーゴリは次のように言っている:「僕には、風景写真や、スタジオで撮るポートレートといった仕事は実際的にはありませんし、そうした紋切り型を避けてきたんだ」。2012年にギャラリーXLで開かれた展覧会は「共犯者たち」だ。この名称の中には、彼と彼が撮った被写体との間の結託という意味合いが込められている。彼は被写体に対して撮影対象として接するのではない。この展覧会は、彼と共に同じところで生きている人たちについて、同じ考えをもった人たちについて撮ったものであり、まるで友人を撮った作品群であるかのような印象が強く感じられる。
イーゴリはドキュメンタリー写真の道を進んでいるとはいえ、多面的な写真家だと思う。例えば、2011年には「菜園」という展覧会が催された。そこでは、農家の自由耕作地で育っている植物がおかしなラクルスで描き出されていた。これはまったくイーゴリの写真のもつイーゴリらしさにはそぐわないのだけれど、ここに僕は、自分の枠を飛び越えて更に歩みを進めようとする人の意志を見たのだ。  現在、イーゴリは社会情勢に興味をもっており、現行の政府に反対するミーティングやデモの様子、それと同様に、さまざまな昔からある大衆イベントの様子をたくさん写真に納めている。[あるインタビューより]
アンドレイ・ベズクラドニコフ:あなたが撮っている作品群はどうなっていますか? なぜ祝日の[政治]イベントを撮ろうとするのですか?
イーゴリ・ムーヒン:たんに、新しいロシアにおいて社会行動のモデルを観察することが面白いからさ。新しいロシアでは、新しい祝日はまったく考え出されていない。だから古い祝日のイベントに興味を持ったんだ。
アンドレイ・ベズクラドニコフ:それでこの作品群は何を示すんでしょう? 何も変わっていないということでしょうか、あるいは、古い祝日のイベントが新しいやり方で祝われるということでしょうか? もしくは、あなたの中には、問題を提起してからそれを証明する目的があるのではなく、ドキュメンタリー写真を制作して、それから何が起こっているのか理解するという課題があったのでしょうか。要するに、この作品群は芸術なのですか、あるいはドキュメンタリーなのですか? どこで発表されるべきものなんでしょう? ギャラリーでしょうか、あるいは社会・政治系の雑誌でしょうか?
イーゴリ・ムーヒン:これは実際のところ、芸術的かつドキュメンタリー的な作品群なのです。西欧ではそういったものに一定の場所が与えられ、ニューヨーク、ベルリン、ストックホルム、ブダペストといった場所で5,6箇所の現代美術館で展示されましたが、モスクワでは一つのギャラリーも展示しませんでした。ギャラリーにとってこれはルポルタージュの作品群であり、美術館にとっては芸術的な作品群なのです。現在、イーゴリはロトチェンコ・スクールで教鞭をとっている。彼はドキュメンタリー写真部を指導しているが、彼の元で学ぶのはかなり難しい。スクールの学生である僕の友人の一人が語ったことには、あるとき彼がイーゴリの授業が行われている教室の横を通ったとき、その友人は、きわめて感情的で、迸る身振りを交えたムーヒンがやじる場面を目にしたそうです。「そうだ、想像しろ!男が女とセックスしてるんだ! そう、彼女がイクとき、そうその瞬間に男は女を撮るんだ!想像しろ!まさにその瞬間にだ!」。

[あるインタビューより]
雑誌『アフィーシャ』:あなたのそうした成果は、何かの具体的な写真と結びついているんでしょうか?
イーゴリ・ムーヒン:まあそうだね。
雑誌『アフィーシャ』:そうした[写真家を決定的に特徴づけるような]写真というのは、写真家にはいくつくらいあるのですか?
イーゴリ・ムーヒン:七枚だね。一生かかっても。 雑誌『アフィーシャ』:それは何か特別な数なんですか?
イーゴリ・ムーヒン:いや。七という数字は好きだけど。仮に今、頭に思い浮かぶ他の写真家の中から、直前にその写真集をめくることなく、十枚の写真をとりだすとしよう。八枚目、九枚目、十一枚目の写真を思い出すのはもう難しくなるだろう。あるいはコニャックを飲み干さなきゃならなくなるだろうさ。
雑誌『アフィーシャ』:この七枚は、観賞者にとっても作者にとっても等しく明らかなものでしょうか?
イーゴリ・ムーヒン:いや、作者にとってだけさ。君が街で撮影していて、歩き回って、探していても、このときつねに覚えているのは、その七枚のうちのそんな一枚なんだ。私は、自分のために撮っているということを言いたい。というのは、写真をある種のメッセージとみなしているからさ。それは、村にいる娘へのメッセージだってことを認めざるをえない。あるいは、君にとっての「読者への手紙」のようなものだ。でも、そんなことのために撮ることさえも、常に必要というわけではない。それは、[ゲオルギイ・]ピンハーソフと散歩しているときのようなもんだ。彼の脇腹を突いて、「見ろよ」と言ったんだが、そうでなくとも彼には全てがわかるんだ。
http://www.moukhin.ru/
(by Konstantin Ladvischenko, photographer)

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